夢を掴んだ東京を離れ、16年ぶりの地元で見つけた希望 特注ソファ製造と自社ブランドで株式会社フジライトは突き進む
”D2C”という言葉はご存知でしょうか。Direct to Consumerの略で、企業と一般消費者が直接取引する形態を指しています。直接商品を提供することで、コスト削減やコアなファンの獲得などが期待できます。B2Cと近いキーワードですが、仲介業者などを介さない分お客様と近い距離で販売するのがD2Cです。
一般のお客様と直接繋がるわけですから、商品ラインナップや販売方法などに新たな工夫を求められます。ものづくり企業にとってはある種未知の世界でもあります。そんな世界に足を踏み入れ、自社ブランドを立ち上げ、ららぽーとにショップを構えるまでになった企業があります。
静岡県裾野市にある株式会社フジライトです。
後継として家業に入社し、現在は代表取締役の鈴木大悟さんは、「地元には帰りたくないと思っていた。」と当時を振り返ります。
夢を掴んだ東京での生活
🗞鈴木さんの東京時代を教えてください。バンドがしたくて、高校卒業と同時に上京されたのですよね。
「18歳で上京し、大学生活はバンド活動に打ち込みました。大学卒業後は不動産会社に就職しましたが、バンド活動も続けていて、26歳の頃メジャーデビューをし、当時は忙しい日々を送っていましたね。」
🗞仕事とバンド活動、両立されていたのですね。
「バンド活動は苦労もありましたが、忙しく楽しい日々でした。26歳の頃、結婚を機に転職してインテリア会社の営業を始めました。この時インテリア業界を選んだのは、家業が家具製造だったということが頭の片隅にあったからだと思います。」
🗞なるほど。インテリア業界で営業をされながら、バンド活動も続けていたのですか?
「初めはしていましたが、バンド活動は徐々に下火になってきて、34歳で東京を離れる時に活動終了しました。」
🗞その後、どうして地元に戻ろうと考えたのでしょうか?
「2011年の東日本大震災での経験がきっかけです。当時、自宅にいる家族と連絡が取れず、無事かどうかを確かめることがすぐにできませんでした。会社がある世田谷から自宅がある川崎まで、やっとの思いで歩いて帰宅すると、停電による寒さと余震の恐怖に震えながら毛布に包まっている家族がいたんです。その時に、地元に帰るという選択肢を考え始めました。
周囲に顔見知りが誰もいないという東京での暮らしが気に入っていましたが、裏を返すと支え合うということもなくなるのだなと気付きました。同時に、震災の影響で家業も苦しくなっていて、地元に帰ることを決意しました。」
18歳で離れ、戻ることはないと思っていた地元に帰る
🗞地元に戻られて、家業に入ってからはどんな生活でしたか?
「地域に馴染む、情報共有という点からまずは地元の人達と関わりを持たなければと考え、地域の青年団や地元経営者の集まりに積極的に顔を出すようにしました。東京での暮らしから一転、地域に根ざした暮らしになりました。でもそれが心地よかったんです。」
🗞奥様やご家族はどういった反応でしたか?
「妻も地方出身で上京してきた身なのですが、子供を育てる環境という面でも静岡県裾野市への移住を賛成してくれました。今では経理担当として共に働いています。帰省して入社した際、先代の父は、営業活動のため中古のバンを用意してくれました。当時はまだ経営が苦しい状況だと知っていましたので、その父の気持ちが嬉しかったです。」
🗞バンドでのご経験とものづくり、似ている点や活かされている経験はありますか?
「曲作りとソファ作りって似ているなと感じます。曲はそれぞれのパートをレコーディングし、重ねていくことで1曲が出来上がりますが、ソファもまず木枠を作って、ウレタンを重ねて、布地を貼って・・・というように段々と作っていくイメージなんです。」
🗞なるほど。一つずつ積み重ねていく工程は確かに似ていますね。
「あとは、自分ではすごく気に入っていても、意外に評価されないこともあるということは似ています。ただ、バンドは自分たちが良いと思ったものをどこまでも貫くというある意味の苦しさがありました。ソファ作りやものづくりは、お客様に寄り添うこと、お客様の声に応えがあります。その部分は違いますね。お客様の声に応えればいいと思えるところはこちらのほうがある意味楽かもしれません。」
業務用ソファ製造の経験を活かして自社ブランドを
🗞株式会社フジライトはどんなソファを製造してきたのでしょうか?
「弊社の主力事業は業務用のソファ製造です。かつてはカラオケボックスやクラブなどの店舗向けのソファが多く、『ここにピッタリなサイズのソファが欲しい』というオーダーに応えて製造してきました。その後、働き方改革の影響もあり、オフィス用のソファを手がけることも増えてきましたね。」
🗞オフィス用のソファの需要が増えたのはどんな背景があるのでしょうか?
「昔のオフィスはスチール家具が多かったのですが、デザイン性や自由度が高いことから木製家具の需要が高まったということは理由の一つだと考えています。最初は社員食堂に導入するケースから始まり、社員同士の交流やコミュニケーションが取りやすくなるスペースを設置する企業が増えていきました。しかし新型コロナウイルスの影響で、そもそもオフィスに人が集まらなくなったこともありこういった需要は落ちました。代わって、個人の作業スペースが確保された空間という需要が高まってきています。時代に対応すべく、取引先との共同開発でソファでありながら個人のブースが作れる製品を開発したところです。」
🗞時代の移り変わりに対応しながら、業務用ソファ手がけてきたフジライトさんの強みは具体的にどんなところにありますか?
「オフィス向けなどB2B向けで実に様々な形状のソファを製造してきた経験とノウハウは何よりの強みです。ソファ製造には、木工だけでなくファブリックや革を裁断、縫製して張り込む技術が求められるのですが、特殊な形状のソファを依頼されることは日常茶飯事です。毎回木枠やウレタンやファブリックの貼り方など、様々な場面で試行錯誤してきました。2次元の図面を見て、こうやったら再現できるんじゃないかと考えながら3次元で実現してきたことは貴重な経験であり、強みですね。」
🗞その強みを持ちながら、自社ブランドMANUALgraphを立ち上げたきっかけをお聞かせください。
「木工ができる家具屋さんは数多くありますが、ファブリックを扱う技術を持つ家具屋は非常に少ないんです。ニッチなんですが、これはすごく価値がある強みだなと。更にそれまでは業務用に徹してきましたが、ソファって今や一家に一台ありますし、テレビやパソコンと同じくらい市場があるんじゃないかと考え、踏み出しました。ブランド作りに関しては、バンドでの経験も活かせそうだなと感じていましたし、すごく楽しそうでキラキラして見えました。」
🗞業務用、D2C用、どちらも作るものはソファではありますが、恐らく様々な部分で違いがあって工夫もあると思います。具体的にはどんなことをされましたか?
「まず最初にソファを見て触れることができる実店舗を作ろうと考えました。工場の一角にある倉庫を改装して店舗にし、現在も本店として営業しています。それまでのソファ製造技術やノウハウが社内にあったので、技術の転用は比較的容易にできて商品の製造にもすぐに取り掛かりました。」
🗞ソファ製造と販売場所をまず確保されたあとはどうしましたか?
「ブランド名やロゴマークを作ったり、ホームページを制作したりといういわゆるブランド作りに関してもはじめは自分たちでやろうとしていました。でも1年位かけて準備していくに従って、徐々に頭打ちになってきてブランディングやデザインのプロに相談することにしたんです。その相手というのが実は元バンドメンバーなんですよ。笑」
🗞バンドメンバー!具体的にどんな形でご相談されたんですか?
「バンドを脱退してから独立してデザインやブランディングのディレクターをしている人で、こういうブランドをやろうと思うんだけど、とちょっと相談したら全面的に協力してくれました。元バンドメンバー価格で。笑 ロゴマークをデザインしたり、どんなブランドを目指すのかというところを一緒に考えてくれたので、スタートを切るまで時間はかかりましたがすごく恵まれていたと思います。」
🗞周りの方々に助けてもらいながらスタートを切ったのですね。
「でも本当に大変なのはそこからでした。じゃあどうやってお客さんに来てもらえば良いんだろう?というところは全く思いつかなかったんです。あるあるかもしれませんが、ブランド作りや商品、店舗作りで一度満足してしまって、正直当時はその先の集客やどうやって売るのかというところの計画があまりなかったんです。オープンしたら誰か来てくれるだろうくらいな感じで。本当はそこからスタートなのに、ゴールになってしまったという反省はすごくあります。」
🗞なるほど。でも、店舗を作ったら誰かしら来てくれるんじゃないかなと思ってしまうのは確かにあるかもしれません。
「実際に来ていただくとわかりますが、弊社は住宅街の中にあるんです。人がふらっと通ったりする場所じゃないんですよ。笑 登下校中の小学生くらいしか通らないような場所なのに、なんとかなるだろうくらいな感じで始めてしまったんですね。」
🗞実際集客はどうされたんですか?
「オープンに際して地元の方々がすごく盛り上げてくれたんです。ブランドを立ち上げてスタートさせたのは、僕が家業に入って2年程経ってからなのですが、先ほど述べたように入社してすぐに様々な地域の活動に参加していました。気付けばその2年間の間に地元に仲間がたくさんできていたんです。その仲間たちが、オープンの時に花を出してくれたり、実際に買ってくれたり、お客さんを紹介してくれたりと大盛況でした。地域の方々に応援してもらえるとは考えてもみなかったですが、最初にそうやって応援してもらえたのはすごくありがたかったです。」
🗞地元の方々との繋がりで良いスタートを切ることができたのですね。
「はい。でもそれがひと段落するとまた大変でした。笑 広告、宣伝、集客などどうしていくか悩みましたが、まずは本当にコツコツとSNSなどで発信を重ねていきました。すると、少しずつ地元紙やWebメディアに取り上げてもらえるようになっていきました。地元のお客様だけでなく、メディアなどを通して弊社を知り、県外から来店してくださるお客様も増えました。」
🗞やはりメディアやSNSで情報収集して、お店に興味を持つ方が多いのですね。
「それに加えて土地柄もあるなと感じています。静岡県裾野市は御殿場アウトレットや伊豆、箱根など観光地がすぐ近くにあります。温泉やショッピングのついでに寄ってみたんですという方も多いですね。地域が集客を手伝ってくれているという側面はかなりあります。」
🗞確かに!裾野市という場所が良い効果をもたらしてくれているのですね。
会社を、ブランドを、続けていくために
🗞MANUALgraphの立ち上げや集客、その他に取り組まれたことや、苦労されたことはありましたか?
「僕が入社した10年前は、職人さんのほとんどが65歳以上でした。それこそ僕が子供の頃から在籍していた職人さん方です。なんとかして若い世代に技術を継承していかなければならないというのが当時一番大きな課題でした。」
🗞採用に関してはご苦労されましたか?
「実はあまり苦労していないんです。MANUALgraphの存在が地域で少しずつ目立ってきて、なんかカッコいいことやっているなと思ってもらえるようになりました。それがきっかけで入社してくれた人が徐々に増えていったので、実はリクルートにそこまで投資はしていないんです。ブランドをやるメリットをかなり感じましたね。」
🗞ソファ作りに知見や経験がない方がほとんどだと思うのですが、まずは工場見学をしてみて興味を持たれる方が多いのでしょうか?
「工場の一角にお店があるので、興味のある方はまずお客様として来店され、求人してないですかと声をかけてくれて入社に至った方も多いです。工場だけだとその間口が空いていないので、興味があってもいきなり工場を訪問するのは難しいじゃないですか。でも店舗を設けていると来ていただきやすいんですよ。」
🗞鈴木さん、それは狙っておられましたか?
「いや全然。笑 でも結果として興味のある方に入社してもらっています。現在の工場長も、約7年前に来店して『このお店で求人募集してませんか?』と声をかけてくれたのが入社のきっかけです。店舗スタッフはいっぱいだけど、工場スタッフなら募集しているよとお話ししたところ、ソファ作りに興味を持ってくれて、入社に至りました。」
🗞スタッフの皆さんは裾野市周辺の方が多いですか?
「基本的には地元の人が多いですが、Iターン、Uターンの促進にも力を入れています。行政と一緒に、地元に帰りたいけど仕事がないと悩んでいる人に向けて、Uターンして静岡で働きませんかと呼びかけ、募集しています。実際に3名、Uターンして入社してくれました。」
🗞なるほど。Uターンにも力を入れてらっしゃったのですね。
「僕もUターンして裾野で働いていますが、16年も東京で暮らして仕事をしていました。でも、帰ってみたら自然豊かな環境で子育てしながら暮らす魅力に気付きました。僕は仕事があったので帰ってくることができましたが、そうじゃない方々に向けて少しでも企業としてできることはないかと考えています。」
🗞家具作り未経験の方が多いと思いますが、教育はどうされていますか?
「業務が遂行できるまでに約2年、一人前になるのに5年位は要します。10年前、65歳以上のベテラン勢ばかりだったところに、各工程2人ずつくらい若いメンバーを配属し、技術の継承を行いました。実は仕組み化して取り組んだというより、ベテランの方々の人柄や優しさ、未来に繋いであげようという思いに支えられたというのが大きいです。」
🗞ベテランの方々の優しさですか。そういった雰囲気は会社の風土としてあったのですか?
「和気あいあいとした雰囲気や、仲間に優しさを持って接するというのは企業文化として根付いていた部分はありました。そういったところは僕が何かしたというより、自然と引き継がれたと感じています。事業継承する中で新しい仕組みを導入した部分もありますが、文化や風土はそのまま引き継いでいますね。」
🗞雰囲気や風土を作るのは意外にとても難しいことですよね。
「そうですね。そこが引き継がれたのはありがたく思っています。でも雰囲気としては良いものがありましたが、言語化できておらず経営理念というものがありませんでした。創業者の祖父や先代の父がどんなことを大事にしてきたかというのを、僕が父や母達にインタビューして言語化し、経営理念に落とし込んでいきました。この時期は本当に苦しくて、時には泣いたり喧嘩したりしながら会議をしましたね。でも乗り越えたおかげでコミュニケーションも取れましたし、その後新しく入ってきたメンバーに会社の思いを伝える際にも、この時の言語化は意味のあるものでした。」
🗞なるほど。理念やビジョンを明確にするのは重要ですよね。今後、MANUALgraphをどう育てていきたいとお考えですか?
「繰り返しになりますが、長年主力であった業務用、特にオフィス用の需要が一気に激減しました。現在も苦しい時期ではありますが、そんな中補助金も活用して、MANUALgraphというブランドをここで一度見直そうと考えています。周りに手伝ってもらいながらなんとかブランディングやデザインをやってきましたが、ここでやはりその道に精通するパートナーときちんと組んで、もっと本格的にマーケティングやブランディングをしはじめています。」
🗞具体的にはSNSの活用や販路開拓などでしょうか?その部分に補助金が使えるというのは良いですよね。
「具体的な機械を購入しなくても補助金を活用できるのはすごくありがたいです。MANUALgraphをはじめて約8年、自前で一生懸命やってきた積み重ねを更に広げるため、外部パートナーと一緒にやっていくというのが楽しみの一つでもあります。」
🗞これからTwitterやFacebookなどでMANUALgraphさんの広告をお見かけする日が来るかもしれないですね。
「そうですね。具体的な戦略についてはこれからですが、実店舗が本店とららぽーと沼津の2店舗あって、きっかけはインターネットとはいえお客様とのコミュニケーションのベースは実店舗にありました。ですがコロナ禍になり、リアル店舗でのリアルな体験が奪われてしまっている中で、やはりインターネットを使ってのコミュニケーションにシフトせざるを得なくなったのがちょうど1年前でした。自分達でSNSや宣伝広告などやってきましたが、更にパワーアップできるよう取り組んでいきたいと考えています。」
🗞インターネットやSNSの力はうまく活用していきたいですよね。他にはありますか?
「MANUALgraphを立ち上げたばかりの頃は、弊社が持っているソファ製造のノウハウや技術を規格化して、同じ製品を大量に生産していくことを考えていました。しかし実際やってみてお客様と話してみると、ここをこんな風に変えられませんか?とか、こんなソファできませんか?とおっしゃってくれる方がやはり多いんです。ブランドを見直す中で、お客様や暮らしに向き合って、一人ひとりに合った製品を作るということは改めて考えたいと思っています。」
🗞最後に、目標や目指しているところを教えてください。
「これまでやってきた業務用で特注品を製造するラインを持ちつつ、その技術を活かして既製品を製造するというラインの2つを持った新しい工場を作りたいと社内で話し合っています。特注じゃないと作れないものもありますし、工場のメンバーもその面白さを感じているので、もちろん継続させていきます。と同時にその技術を活かして既製品を開発し、より多くのお客様に届ける。その2つの融合がこれからのブランドやフジライトとして目指す先ですね。あと、大きな夢がもう一つあるんです。」
🗞大きな夢!なんでしょうか?
「MANUALgraphパークを作り、弊社のソファを最大限体感し楽しむことができるホテルを併設することです。ブランドを立ち上げた頃からの夢なので、いつか実現させます!」
株式会社フジライト
〜🗞ものづくり新聞編集部より🗞〜
約10年前、東京から静岡県裾野市に戻り家業を継いだ鈴木さん。東京ではバンド活動でメジャーデビューも果たすなど、個性が光ります。
現在ではららぽーとで実店舗を構えていることや、各メディアへの露出も多い様子から、地元の皆さんから注目されている企業であることが伺えます。ブランドを立ち上げたことで、採用面にも良い影響があったというのが印象的でした。お店や商品を通してフジライトに興味を持ってくれた人と繋がりやすくなり、結果ここで働きたい!という動機を持って入社してくれる人も増えたとか。製造業が立ち上げるブランドの影響力は採用にまで及びます。
また、地元に帰りたくても仕事がなくて悩んでいるという方向けの取り組みもされています。UターンやIターンを考えながらも、悩んでいる方々にとっても、鈴木さんのお話は参考になるものではないでしょうか。
MANUALgraphパーク、楽しみにしています!