第2回 鉄づくりは日本の文化 〜たたら製鉄の「たたら」って何?〜
第2回のこの記事では、「鉄づくりは日本の文化」と題し、製鉄、特にたたら製鉄を中心に日本の歴史にたびたび登場する鉄文化の歴史を辿ります。
(1)日本の製鉄の現状は?
近年、『鬼滅の刃』『刀剣乱舞』などのエンターテイメント作品で、日本刀がにわかに注目され、その素材となっている鉄や製鉄についての関心も高まっています。そこで今回は、製鉄の歴史をご紹介しながら、「日本人にとって鉄とは何か?」を考えていきたいと思います。
伊藤:歴史に入る前に日本の製鉄業の現状について、少しご紹介したいと思います。
製鉄所を1軒建設すると製鉄所に勤務する人が増えるだけではなく、装置や部品などを提供する外部委託業者も増え、生活・飲食など従業員の方々を支える産業も必要となるため、地域にとっては非常に重要な基盤産業となります。神奈川、千葉、兵庫、広島、福岡といった地域はこれらの産業に大きな影響を受けています。なんとこういう話は今や中学受験の地理の問題にも登場します。子どもたちのほうが詳しいかもしれませんね(笑)
伊藤:今から20年あまり昔の1995年ごろまでは日本は世界一の粗鋼生産国でした。その後中国が急成長しました。中国は国の政策として製鉄所建設を推進したため、大量の鉄が供給できるようになりましたが、その反面世界の鉄鋼価格は下落してしまいました。そのおかげで、日本の製鉄業は厳しい状況に置かれたため、鉄鋼会社は合併により統合され現在に至ります。
これらの日本の製鉄業の基礎を築いたのは明治時代の先人たちの努力でした。特に有名なのは官営八幡製鉄所(福岡県北九州市)です。西洋から製鉄技術を学び、近代的な製鉄所を建設したことにより、それまで砂鉄による製鉄中心だった日本に大きな変革をもたらしました。
さて、そんな日本で製鉄が行われていたのはいつからなのでしょうか?
(2)鉄器と加工技術の渡来、鉄の生産開始、古代国家と鉄
奈良:今回は『鉄の日本史』(松井和幸 筑摩選書)と『たたら製鉄の歴史 歴史文化ライブラリー』(角田徳幸 吉川弘文館)という本を参考に、鉄の歴史をご紹介していきたいと思います。(以下、特に出所を記載していないものについては、本書2冊を参考としています)
これらによると、従来、中国でおきた製鉄技術が朝鮮半島南部を経由して日本に渡来したと考えられてきましたが、近年では、現存する日本最古の鉄器の年代測定から、紀元前4世紀ごろ、青銅器と同時期か少し早くにまず中国から直接鉄器そのものが入って来た可能性が考えられているそうです。そして紀元3世紀ごろ、製鉄が盛んに行われた朝鮮半島南部から、鉄素材と加工技術(鍛冶)が流入し、その後、日本独自の鉄素材の開発と鉄の生産が始まったと考えられています。
伊藤:最初は鉄を輸入していたんですね。
奈良:そのようですね。鉄器の流入(輸入)と加工を経て、製鉄が始まったようです。製鉄開始の時期は、弥生時代後期(3世紀前半)説と古墳時代後期(7世紀後半)説があり、現時点ではいずれとも断定されていません。弥生時代後期説では、鍛冶が拡大していく時期は、大陸系の磨製石器類が急速に消滅していく時期と重なり、700年近く鍛冶だけで生産しない、結構な量の鉄製品を輸入だけに頼るのは限界があると考えられています。
伊藤:なるほど、自国で鉄を生産していたはずだということですね。
奈良:はい、そうなんです。一方、古墳時代後期説は、『三国志』魏志東夷伝にある朝鮮半島南部で倭(日本)が鉄を購入していたという記述を基に、弥生時代後期の段階では鉄は生産せずに交易に頼っていたと考えられています。
しかしその後の産業が、技術の流入と同時に、それを改良しながら自分たちのやり方を模索していったことを考えると、弥生時代後期(3世紀前半)に朝鮮半島南部から鉄素材と加工技術(鍛冶)が流入したことで、むしろ日本独自の鉄素材の開発と技術開発の模索が始まり、技術として確立し生産体制が整ったのが古墳時代後期(7世紀後半)なのかなと、私は思っています。
伊藤:日本の昔の人は自分たちで工夫して製鉄技術を確立して行ったのですね。
奈良:はい、加工技術を進化させつつ、どこかのタイミングで製鉄技術そのものも渡ってきて、その両方を縒り合わせながら、自分たちの技術として確立していったのではないでしょうか。そして紀元4世紀〜5世紀ごろには、鉄槌(かなづち)、鏨(たがね)、鑢(やすり)などの鍛冶の道具が朝鮮半島南部から伝わり、6世紀後半に岡山県の吉備地方に製鉄炉が現れ、鉄鉱石で鉄が生産されていたようです。
そして7世紀中頃(飛鳥奈良時代)から10世紀にかけて吉備(備前・備中・備後・美作)は、当時の税制度である租庸調のうち、庸(都で働くことで税を納めるか、代わりに布などを納める)や調(布や特:産物絹・紙・漆、工芸品など)として鉄を納めたという記録が残っています。この時期の律令国家の鉄は吉備によって賄われていました。
伊藤:日本史で習いました。租庸調(そようちょう)ですね。
奈良:私も日本史で学びました。その租庸調として納めるものの中に鉄があったなんて、今まで思いもしませんでした。そのころ、九州の太宰府や宮城の多賀城で、国家的なプロジェクトとして製鉄が行われていました。九州では白村江(はくすきのえ)の戦い敗戦による朝鮮半島対策や東北の蝦夷対策に鉄製品(主に武器)が必要だったため、製鉄の施設が作られたようです。特に福島県の相馬には多数の製鉄遺跡があり、大規模な組織で製鉄が行われたことがわかっています。また九州ではこの時期、すでに砂鉄による製鉄が行われていたようです。
伊藤:福島で製造されていた武器は、日本刀のようなものでしょうか?
奈良:刀そのものは弥生時代から作られていましたが、私たちがイメージするいわゆる日本刀は、武士による戦乱がおさまった江戸時代、剣術道場で人と人が向き合って1対1の剣術で使うものとして作られ、その後、観賞用として発展していったそうです。(ダ・ヴィンチウェブより)
古代に話を戻しますと、鉄は武器だけではなく、農耕器具や一般家庭の生活用品、祭祀にも使われていました。
(3)草薙剣がない!
奈良:鎌倉時代前後には、中国地方と東北地方以外の製鉄は次第に姿を消していき、同時に、中国地方の製鉄も、良質な砂鉄が安定的に採れる出雲などの山陰が中心となっていきます。
現在(2022年7月)、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放映されていますが、鎌倉の稲村ヶ崎の海岸付近でも砂鉄が採取され、製鉄を行っていました。しかし、チタンを多く含む品質の低い砂鉄しかとれなかったため、すぐに衰退したそうです。(日本物理学会 第 73 回年次大会概要集より)
伊藤:神奈川県鎌倉市の稲村ヶ崎でも製鉄していたんですね。
奈良:そうなんです。私は子供のころ、鎌倉に住んでいたのですが、稲村ヶ崎と製鉄の関係を今回初めて知り、とても驚いています。
前回、葦と鉄、すずの関係について、伊藤さんからお話がありましたが、稲も鉄と関係があると考えられているそうで、「稲村ヶ崎」という地名が、鉄との関係を示すものなのかもしれません。(『古代の鉄と神々』真弓常忠、ちくま学芸文庫)
奈良:もう一つ『鎌倉殿の13人』といえば、数回前に壇ノ浦の合戦のシーンがありましたが、平家が安徳天皇とともに三種の神器を抱えて海に入水します。源氏が三種の神器を海から引き上げるのですが、草薙剣(くさなぎのつるぎ)だけが見つからなかったと言われています。
伊藤:そうでした。草薙の剣は見つからなかったんですよね。
奈良:はい、かなりの長期間に渡って探索が続いたようです。しかしその後、後鳥羽上皇が即位するときに草薙剣なしに即位しなければならず、名工たちに草薙剣に代わるものを作らせたという逸話もあります。刀鍛冶の人たちが天皇とやりとりするためには一定の職位を与える必要があったようで、刀鍛冶の名工たちに官位を与えたとも言われています。(刀剣ワールド)ただし、実際には別の剣で代用したようですが。
戦国時代までの武士たちは、天皇を如何に奉じるか、天皇の正義によって戦うか、といった点が重視されていました。武器としての刀、鉄、というだけではなく、権威の象徴として鉄が位置付けられていたのではないかと、私は考えています。
(4)もののけ姫にみるたたら製鉄
奈良:室町時代に入りますと、足利義満が日明貿易を推し進めました。当時、製鉄の生産性も向上し、大量に刀剣を生産する能力があったため、貿易の重要な品物として刀剣が輸出されていました。武器というよりは、観賞用の美術工芸品として高い金額で輸出されていたようです。
伊藤:もう室町時代には刀を工芸品として輸出していたんですね。
奈良:はい、日明貿易も日本史の授業で学びましたが、刀剣を美術工芸品として輸出していたというのは初めて知りました。ここまで見てきただけでも、日本の歴史の中での鉄の存在は大きいですよね。宮崎駿監督の映画『もののけ姫』は室町時代を舞台にしていると言われていますが、そこに登場するたたら製鉄は、江戸時代前期のものだと考えられています。エボシという女性リーダーによる集団が、そのような時代を先取りした技術を持ち、社会的なマイノリティ(女性や体が不自由な人たち)を集めて職を与えるという設定が、物語の中で意味を持っていたようです。(『歴史と出会う』(網野善彦 新書Y)での宮崎駿監督との対談、現代ビジネス記事より)
伊藤:実際に宮崎監督は、現存するたたら製鉄の「菅谷たたら」を取材して描いているそうですね。初上演当時は、あまり深く考えもしなかったのですが、今あらためて見てみると、いろいろな意味で、興味深い作品ですね。
奈良:本当にそうですね。『もののけ姫』では、主人公サンを乗せた犬神が、たたらばを襲撃するというシーンがありました。ある研究によれば、製鉄の集団は砂鉄を探すのに犬を使っていたと考えられているのですが、もしかしたら、そのような研究を踏まえているのかもしれません。
伊藤:砂鉄と犬ですか?
奈良:はい、意外な組み合わせかもしれませんが、身近なところでいくとお伽噺の「桃太郎」を例に考えると、わかりやすいかもしれません。この研究について読んだとき、「桃太郎」が鬼退治に行くときに犬を連れていたことを思い出しました。「桃太郎」といえば岡山県の民話です。「桃太郎」は原型となる伝説があると考えられていて、民話としてこの形になったのは昭和の初期くらいと考えられていますが、単純化して考えると、次のようなことが言えると思います。岡山県は吉備、つまり古代の製鉄の中心地であり、鬼とは鉄鉱石や砂鉄採掘のために山を崩し、木炭のために森林を伐採する製鉄集団と考えるとき、桃太郎はそのような製鉄集団と利害関係にある集団あるいは地域住民の代表で、周辺の土地を遍歴する製鉄集団を探すために犬を連れていたのではないでしょうか。
(5)「たたら」とは?
伊藤:さて、話をたたら製鉄に戻しますと、中国地方でたたら製鉄が盛んだったのですよね?
奈良:たたら製鉄といえば、中国地方の出雲が有名です。戦国時代、鉄砲の産地であった滋賀県の長浜では、「出雲の鉄は最良」と伝えられているそうです。火縄銃は銃身部分と尾栓(びせん)と呼ばれるネジの部分に分かれますが、銃身部分は広島県三原の鉄、尾栓側は出雲の鉄が多く使われていることがわかっています。出雲の鉄のほうが砂鉄の割合が多く、柔軟度が高いというのが理由だそうです。(鉄の道文化圏ホームページ)
奈良:さきほどもお伝えしたように、私たちが思い描く「たたら」、つまり映画『もののけ姫』にも登場するような「たたら」は、江戸時代にほぼ完成したと言われていますが、そのような製鉄全体の施設を「たたら」と呼ぶようになったのは1530年ごろで、当時の資料に登場しているそうです。
伊藤:「たたら」ってどういう意味なんでしょう。
奈良:「たたら」の語源を調べていくと、『古事記』の神武天皇には、比売多々良伊須気余理比売(ひめたたたらいすけよりひめ)という名前の皇后が登場します。この名前に「たたら」という言葉が登場し、皇后は鉄の神と考えられている神の娘でもありますが、直接たたら製鉄とつながりがあるかは、はっきりしていません。『古事記』の中で、「たた」は立つという意味です。
平安時代の辞書『和名類聚抄』では、製鉄の火を起こすための風力装置「踏みふいご」を「蹈鞴」と表記し、「太々良(たたら)」と呼んでいます。「蹈」は「踏」の旧字ですので、足を使って踏みならす動作を「たたら」と言っていたのではないかとも考えられます。
伊藤:なるほど、足で踏む動作そのものがたたらだったんですね。
奈良:いずれにしても、たたら製鉄にとって風を送るふいごは重要です。江戸時代に入ると天秤ふいごというより大きな装置が生まれ、鉄の生産量も増えていきました。その鉄は北前船というような船で日本全国に流通していきました。
(6)奥出雲の鉄師御三家
奈良:奥出雲には、製鉄を営むたたら御三家という集団がありました。山林を持ち、藩の指定業者として自治が許されていたと同時に上納義務を負っていた、一種の領主のような存在でした。特に有力だったのが、田部(たなべ)、櫻井(さくらい)、絲原(いとはら)の御三家です。北前船で得た利益で、各地の様々な文化を持ち帰りました。いまでも島根県奥出雲にはそれぞれの屋敷や庭園が残っており、当時の栄華を偲ぶことができます。(鉄の道文化圏ホームページ)
伊藤:この御三家について少し調べてみますと、たとえば田部家の25代当主田部真孝さんは、田部長右衛門を襲名し、たたら製鉄の復活に向けて活動をされているようです。25代といいますと、なんと室町時代から続いているのだそうです。映画『もののけ姫』のたたら製鉄のモデルにもなった「菅谷たたら」はこの田部家のたたらです。(東京双松会ホームページより)
(7)たたら製鉄の火が消えた大正時代
奈良:明治時代以降、たたら製鉄は世の中の流れに翻弄され、浮き沈みの激しい時代に入ります。明治政府の工業を推進する政策によって海外から安価な鉄を輸入したため、中国地方のたたら製鉄は厳しい時代を迎えます。
伊藤:たたら製鉄は時代の流れに翻弄されていくんですね。
奈良:日清戦争や日露戦争で軍刀の需要が高まり、ふたたびたたら製鉄が復活します。海軍の軍艦製造が盛り上がるにつれて、たたら製鉄で製造された鉄を官営製鉄所に卸すということもあったようです。しかしその後スウェーデン製の安価な鉄が輸入され、再び厳しい時代になります。
第一次世界大戦で再び鉄の需要が高まり、たたら製鉄もまた隆盛を迎えます。ところが第一次世界大戦後に軍艦需要が急激に減少したことで、たたら製鉄の火は一旦消えてしまいます。
伊藤:軍艦が減ったためにたたら製鉄が衰退したというのは寂しい話ですね。
奈良:そのたたら製鉄の衰退の時代を舞台に描かれているのが、この数年、子供だけでなく大人にも人気の漫画『鬼滅の刃』だと、私は思っています。『鬼滅の刃』は、家族を鬼に殺された竈門炭治郎(かまどたんじろう)が、鬼化された妹を救うために、「日輪刀」で鬼と戦うストーリーです。 「日輪刀」は、たたら製鉄を彷彿とさせる里で、刀鍛冶の鋼鐵塚蛍(はがねづかほたる)よって鍛えられた刀であり、炭治郎自身も製鉄に必要な炭作りを家業とする家の出身であることなど、製鉄との浅からぬ関係が各種解説本などで指摘されています。
舞台が大正時代に設定されている理由はいくつかありますが、私はこのたたら製鉄の火が消えようとしている時代に、古来の製法で作られた刀で戦うことに、大きな意味があるのではないかと思っています。
伊藤:『鬼滅の刃』の時代はそういう時代だったのですね。そういう目で見るとストーリーも違って見えそうです。
奈良:本当にそうですね。たたらによって鉄が作られていた時代は、鉄は単なるモノの素材ではなかった。前回も少しお話ししたように「鬼」という人智を超えた何かと同等、もしくはそれ以上の力を持つものだったのではないでしょうか。
しかし、近代化に伴う富国強兵政策により、鉄が単なるモノの素材になったことで、人々の鉄への畏怖は薄れ、聖なる力が失われてしまった。『鬼滅の刃』は、鉄による刀がそのような力を宿した最後の時代として描かれているのではないかと、私は思うのです。
伊藤:鉄による刀の聖なる力を活用して鬼を倒していくんですね。
奈良:はい、『鬼滅の刃』は鉄の歴史や民俗学的な観点から読んでも興味深い内容だと、改めて思いました。そして軍国へと突き進んだ昭和では、鉄は軍需産業の中心となっていきました。しかし戦後の重工業産業においては、鉄がそれまでとは違った別の力を持って、日本経済の復興を支えてきた。そんなことが言えるのではないでしょうか。
あとがき
伊藤:前回は製鉄にまつわる神話や信仰、今回は製鉄の歴史を見てきたわけですが、どの時代においても、鉄は日本人にとって単なるモノの素材ではなく、精神文化の一つであることを痛感します。
また近年は『もののけ姫』や『鬼滅の刃』などのエンターテイメント作品に現れる鉄・製鉄は、ときに時代の最先端をいく技術であり、ときに人智を超えた何かを超える聖なる力を持ったものとして、人々の精神を支えるものでした。それは、ある意味、鉄の歴史と文化が私たちの心の奥深いところに根付いている証なのかもしれません。
世界的な感染症、脱炭素社会に向けた貢献、エネルギー資源を持つ大国との関係など、今後の日本の鉄産業が直面する課題は、決して容易なものではありませんが、そのような中で、これまでとは違った存在力を示していくためには、私たちの心の奥底、古層に眠っている文化として鉄産業を掘り起こしていくことに、何かヒントがあるような気がします。
第1回記事「針供養に見るものづくりの神々」はこちら