製造業は楽しく、夢がある 独自の企業ブランディングで爆走する影山鉄工所
ものづくり新聞編集部員がInstagramにフォトジェニックな作業者の方の写真や工場風景を見つけました。オフィス風景の写真は町工場というにはおしゃれすぎます。どんな会社なのでしょう。この会社の社長さんはどんな方なのでしょう。
気になった編集部員が調べたところ、それは、静岡県沼津市に拠点を構え建築用鉄骨の加工や溶接を行なっている株式会社 影山鉄工所という会社さんでした。早速取材依頼をお送りしたところ、現地にお伺いし取材させていただけることになりました。
黒いレストランのようなオフィス
最高気温が30度を超える夏の日、編集部メンバーが沼津駅からタクシーで本社に向かうと道路沿いに黒いレストランのような建物が見えてきました。タクシーの運転手さんが「影山鉄工所さんここですね」。この建物が影山鉄工所さんなのですね。
入り口には「KIW」というロゴがあります。Kageyama Ironworksの略でしょうか。外からはガラス越しに中が見えます。扉から建物に入るとおしゃれレストランのように吹き抜けになっています。
入って左側にはカフェスペースがあります。社食にもなっているそうです。この社食ができたことで、これまで目の前にあるコンビニエンスストアでお昼を買う人も多かったそうですが、社食で食べる人が増えたのだそうです。
階段を登るとオフィススペースが広がっています。フリーアドレスなのでみなさんばらばらに座っておられます。最初は自由に好きなところに座っていいというルールだったそうですが、そうすると毎日同じところに座ってしまい隣の人も一緒になってしまうため、あえてポータブルビンゴの抽選で座るところを決めるようにしたのだそうです。
2階から下を眺めると入り口の様子がよく見えますし、向かいにある第1工場の様子も見ることができます。ガラス張りの建物のため広々としています。この建物はもともと第2工場だったそうですが、全面改装し新しい事務棟となりました。
2階奥にある社長室に通されました。部屋には扉はありません。このお部屋で影山鉄工所の代表取締役社長の影山彰久さんにお話をお聞きしました。
代表取締役社長 影山彰久さん
🗞鉄工所のイメージを覆すオフィスですね。InstagramなどSNS発信も積極的にされています。こんな鉄工所をリードしておられる影山さんのことを詳しくお聞きしたいと思います。自己紹介をお願いいたします。
影山さん「1979年生まれの42歳(取材:2021年7月)です。3代目の後継ぎです。もともと家業を継ぐつもりはなく、サービス業で働きたいと思っていました。ホテルマンなどホスピタリティをもって人と接し、感謝される仕事をしたいと思っていたんです。正直その当時は鉄工所はそういったホスピタリティとは全く別の仕事だと思っていました。ですので後は継がずにコンサルティング企業に就職しました。」
お母様からの一言で
🗞そんな影山さんがどうして後を継ぐことにしたのですか?
影山さん「私が26歳の時、父親が病気になりました。手術を受けないといけなかったのですが、母親によると父親が「後を継がないと手術を受けないと言っている」というのです。最初は断ったのですが、母親から2度3度と説得されました。B2Cの顧客サービスがやりたいと言ったのですが、母親に「鉄工所だって顧客サービスだよ」と言われ、B2Cの中にB2Bもあるんだと説得されました。なるほどと思い、最後はわかったと返事しました。」
🗞会社に入られて、最初は現場に入られたのですか?
影山さん「会社に入ってから最初は現場に入りました。正直後を継がないと言っていたこともあり、取引先などからは「息子さんがいらっしゃると聞いていませんでした」というくらい、父は私のことを話していなかったみたいです。現場で溶接を担当しましたが、「見て覚えろ」というやり方だったので、自力で見ながら覚えていきました。マニュアルも何もなかったので溶接の動き方、距離、スピード、などのコツを自分で学んでいきました。」
広報担当の採用
🗞その後、どういうアクションをされたのでしょうか?
影山さん「3年くらい経験してくると溶接もできるようになり、だんだんものづくりが面白くなってきました。しかし、この魅力を発信できていないということに気が付きました。そして、楽しい仕事を作っていきたいと思うようになりました。採用活動を強化し積極的に広報を行うため、専任の広報担当を採用しました。」
🗞採用は難しかったのでしょうか?
影山さん「これまでは1名人員が欠けるとそこで人を募集していましたが、欠けてから探すと急いで探さなければならず、採用した後にミスマッチが起きる原因となっていました。それを常に求人を出すようにしてマッチした人を少しずつ増やす戦略に変更しました。」
🗞人が増えて雰囲気は変わりましたか?
影山さん「雰囲気も変わりましたし、組織も変わっていきました。ただ、あまり私自身の考えは伝えてきていませんでした。そうするうちに、従業員から「社長の想いも聞きたい」と言われるようになり、自分の考えを伝えるようになりました。」
自分の考えを発信するように
🗞最初からご自分の考えを発信してきたわけではないのですね
影山さん「5年ほど前は正直詰まっていました。1人でずっと考えていました。どうしていけばチームが一体になるんだろうかと。そのあたりは社員には全く話していませんでした。詰まったときには海に行っていたこともありました。1人で。」
🗞それが変わったのはどんなきっかけでしたか?
影山さん「最初10名の状況からどんどん仕事が増えて、1人ではもう限界にきていました。組織を強化するか、もしくは受注を控えるのかという選択に迫られました。そこで組織を強化することを選択しました。そうすると、私の想いを伝えないとだめということがわかったんです。私が何かを言うとみんなが「また社長が変なこと言っているよ」と言われるんですが、それでも想いを伝えないとダメなんです。そうして次第にみんなの志が揃ってきたように感じます。」
🗞広報の方を採用されてその他取り組んだことはありますか?
影山さん「ホームページを一新しました。先行投資としては大きな投資となりましたが、思い切って決断しました。半年間専門家の方にお願いしてディスカッションを重ね、私の考えを伝えながらコンセプトをまとめて行きました。」
🗞そうしてまとまったのが現在のホームページの「鉄人の創生物」ですか?
影山さん「そうです。「鉄人の創生物」でした。鉄骨というとどうしても閉鎖的なイメージになっていましたので業界全体をイメージアップしたいというのもありました。閉鎖的な工場を開放的にする、ということも目指していました。ホームページ制作の際にはプロのカメラマンにもきていただき写真を撮影しました。撮影には従業員も積極的に協力してもらい良い写真が撮影できたと思っています。」
IT事業への多角化
🗞ホームページにも掲載がありましたが、影山鉄工所さんは鉄工所としての事業のほかにIT事業も事業化されていますよね?
影山さん「従来から自社のIT化が進んでおらず、日報報告や集計は紙ベースでした。先程の広報担当者がもともとシステムエンジニアだったので、彼が日報集計の仕組みをIT化しました。これが自社のIT化の始まりです。その後生産管理も自社開発しました。」
🗞日報管理も生産管理もいろんな会社様からすでに販売されていますが、なぜ独自開発されたのでしょうか?
影山さん「鉄工所はニッチな分野ですので私たちにマッチしたものがなかったという理由です。また、販売されている生産管理ソフトは機能はたくさんありますが価格が高くなり導入のハードルが高かったということもありました。IT系の人財を採用し外部の方の協力も得ながら、現場の人が使いやすいよう操作がシンプルになるように開発しました。」
🗞そして現場の方が使っていただけるようになったのですね。
影山さん「日報管理の機能に「ありがとう」機能をつけたのです。若手がベテランから何かを教えてもらうとコメントと一緒に「ありがとう」を贈るようにしました。すると、ベテランがどんなふうに「ありがとう」を贈られたのか見たいということで日報システムにアクセスするようになりました。そこからみんなが使ってもらえるようになりましたね。」
「鉄人は生涯学習」
🗞ホームページには「鉄人は生涯学習」という記載もありました。
影山さん「私自身が現場にいたときに教育がなかった経験から、教育は必要だと考えており、お金をかけています。利益の1割を教育に回すと決めています。大人の社会科見学としてバスをチャーターして同業他社に見学にお伺いしたり、教育年間計画を立てて道徳教育や技術資格教育を積極的に実施しています。入社するとオフィスワークの社員は秘書検定かビジネスマナー検定に合格することを義務付けているんですよ。」
🗞秘書検定?ですか?
影山さん「お恥ずかしいお話ですが、非常に小さい町工場からやってきていますので、マナーのまの字もないところから始まっていました。しかし急速に組織が大きくなり、外部のお客様への意識をつけていく必要がありました。お客様がオフィスに来たら社員全員がわかっていて、その方に感謝するということができるようになれば全然違うと思います。」
🗞そういう取り組みをしたきっかけがあったのですか?
影山さん「顧問弁護士の先生に講師をお願いしたときがありまして、そのときに講演を聞いていた社員のことを「対応が悪いね」と帰りの車の中で指摘されたことがあったんです。これじゃあまずいなと思いました。それでマナーの教育をしてみようと思いました。」
🗞影山さんって周りの意見を試してみる方なんですね(笑)
影山さん「そうかもしれないですね。なんでも試してみるんですよ。昔銀行の人に「君は営業もできないのだからお客様に覚えてもらうために派手な色の服装を着たらどうか」と言われたので原色系の赤、黄、ピンクなどのポロシャツを着ていたことがあります。」
「1,000人運動会」を目標に
🗞将来の夢についてお聞きできますか?
影山さん「製造業が、楽しく夢があると言われるようにしたいと思っています。グループから社長を作って行き、社員にチャンスを与えたいと思っています。生え抜きで社長を輩出したいです。そうして多角化を進めて年商100億規模を目指します。」
🗞年商100億円になったらやりたいことはありますか?
影山さん「1,000人運動会です。おそらくそのときには社員は300名以上になっているでしょうから、家族も含めれば1,000人くらいになっていると思います。社員が企画してまじめに、バカみたいにやりたいです。お金はかかりますがこういう体験がプライスレスな体験になると思っています。」
🗞それは楽しそうな企画ですね!
影山さん「こういう企画が欲しいと思っています。学生の部活みたいなことですよね。そうして企画を担当する人にスポットライトを当てたいのです。現場の仕事をしながら、プロジェクト的に現場の仕事と関係のない企画を担当して欲しいのです。そのようなプロジェクトを通して夢を持って欲しいのです。」
🗞ほかにもそのようなプロジェクトはあるのですか?
影山さん「たとえば「経営方針発表会」といった社内イベントもプロジェクトとして取り組んでいます。「溶接体験授業(アイアンプラネット)」の鋳造版もプロジェクトとしてやっています。それぞれ従業員が担当者として推進しています。現場の仕事と並行しますので忙しくて大変なのですが、全員で応援して実現していっています。」
🗞本日は楽しいお話をありがとうございました。
影山さん「こちらこそありがとうございました。」
株式会社影山鉄工所
〜🗞ものづくり新聞編集部より🗞〜
ウイスキーがお好きで週末は家族とマリンスポーツを楽しむ影山彰久さん。社長室に取引先からプレゼントされたお酒が置いてありました。ぜひ今度沼津蒸溜所のジンをご一緒したいです。
取材前に編集部員が驚いた「Instagramの素敵な写真やおしゃれすぎるオフィス」は、3代目アトツギである影山さんの「社員に対するホスピタリティ」の表れなんだと感じました。お母様が影山さんを説得されたときの「鉄工所だって顧客サービスだよ」という言葉が印象的でした。
影山鉄工所のブランディングがどうやって実現してきたのかをまとめると、乱暴かもしれませんが、「愚直に地道にやるべきことをやっていく」ことなのかも、と感じました。
年商100億になったときの1,000人運動会には是非編集部もご招待ください!
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