跡を“継がせる側”の在り方を考えつつ、挑戦する町工場の役に立ちたい
町工場が挑むB2Cとは、これまでB2B中心だった町工場(中小製造業)が、自社製品を作り、一般消費者に向けて販売すること。様々な理由からB2Cに注目し、製品開発や販売方法、ブランディングなど新たに挑戦している方々を取材しました。これからB2Cに取り組もうとしている製造業の方や、行き詰まり感や課題を感じている方々のヒントになれば幸いです。詳しくは以下の記事をご覧ください。(ものづくり新聞 記者 中野涼奈)
株式会社栗原精機 栗原稔さん
埼玉県川口市にある株式会社栗原精機は、主に産業機器、光学製品向けの金属加工を営む企業です。代表取締役社長の栗原稔(くりはら みのる)さんにお話をお伺いしました。
昭和40年(1970年)頃、栗原さんのお父様は住み込みで働いていた機械加工の町工場から独立し、埼玉県でひとりで町工場を始めました。
「50年ほど前から現在の埼玉県川口市に工場を構えています。それ以前、父が創業した当時は、四畳半の部屋で家族4人が暮らして、すぐ隣が工場という環境でした。家業を継ぐということも当たり前の時代で、反抗期はあっても特に迷いもせず将来は家業に入るものだと思っていました。抵抗したところで意味がないと思いつつ・・・でも当時は心のどこかで逃げ出したいとも思っていたかもしれません。」
昭和63年(1988年)、栗原さんが28歳の時に家業である栗原精機に入社しました。
「家業に入るまでは別の会社で、設計などの業務をしていました。家業に入社後はその経験を活かして、“機械設計もできる加工屋”として新規事業立ち上げも目指して仕事に取り組んでいました。」
家業に入社した当時の印象は“なんじゃこれ!”だったといいます。
「父の技術は尊敬していましたが、会社に入って実は会社の経営があまりうまくいっていなかったことを知りました。とても忙しそうにしていて、儲かっているのだろうなと思っていたんですが・・・。なんじゃこれ!という感じです。入社して父と銀行にご挨拶に行った時に、帰ってきてから私だけ呼ばれて行ってみると支店長から『経営の勉強をしてください』と言われました。その時に、事業って目の前の仕事をただ一生懸命やればいいだけじゃないんだなと思い、その支店長さんから教えてもらいながら経営の勉強を始めました。」
採用に関しても、ご自身が技術を学んできた頃とは時代が変わり、はじめはなかなかうまくいかなかったといいます。
「昔は、時間をかけて職人を育てるというやり方が当たり前で、自分達もそのようにして厳しく鍛えられてきました。ですが、機械の進歩もあり、人材育成や教育に関しては、自分達が教わった時のようなやり方ではうまくいかなくなっていきました。そのギャップがうまく埋められず、せっかく入社してくれても長続きしないという時期もありました。
3年くらい前から、栗原精機で働きたいと思ってもらえるようにするにはどうすればいいかと考えるようになりました。仕事=作業、だけではないと思ってもらいたくて、自社製品開発にも力を入れています。」
ものづくりの現場からメーカーに売り込んだ
栗原精機には女性も多く働いていらっしゃいます
創業50年を超える栗原精機の歴史の中で、取り扱う分野は変化を遂げ、現在に至ります。
「基本的には幅広く様々な業界から受注をいただいていますが、創業当初は、内視鏡器具などの医療分野の部品加工が主流でした。現在ではプラモデルやラジコンなどのホビー製品も多く取り扱っています。」
医療器具からホビー製品にまで広がっていったのは、ある社員のラジコン好きがきっかけでした。
「昔、ラジコンが趣味だという社員が、カスタマイズするためにラジコンに使う部品を自作していたのです。はじめは遊びの一環のような感じでしたが、それが結構良くできていたので、そのメーカーに売り込んでみました。それがきっかけで実際にそのメーカーの製品として採用され、販売することになりました。」
それ以降、徐々にホビー製品の受注が増えてきたといいます。それ以外にも、仕事の合間に面白半分で色々なものを作り、社内で楽しんでいたという栗原精機の皆さん。作ってみたいものはやってみるという雰囲気は昔からありました。
悩んだ自社製品の価格決め
栗原さんが自社で製品開発をし、商品として販売するようになったのは、あるショップとの出会いがきっかけでした。
「meta mate(メタマテ)という店との出会いがきっかけでした。メタマテというのは、金属専門の雑貨や製品を取り扱っているギフトショップで、現在は東京都中央区日本橋に常設店を構えています。金属の製品を扱う店ができると聞き、私たちも長年金属を扱っていますので、興味を持ちました。店舗の詳細を聞いたり、実際に店舗の様子を見に行ったりしているうちに、栗原精機としてもメタマテに商品を置いてみてはどうかという話になりました。それをきっかけに、本格的に自社製品について考え始めました。」
メタマテに自社製品を置いてもらうことになった栗原さんですが、お客様に手にとってもらうための工夫や、決めるべきことは沢山ありました。
「一般向けに販売するにあたって、販売価格や名称を決める必要がありました。この時にデザイン面、価格決定の面でサポートしてくれたのが、当時メタマテでショップの運営とデザインをしていた眞鍋玲(まなべ れい)さんです。それまでも面白半分で作った製品を、簡単に開設できるネットショップで人知れず販売してみたことはありましたが、値段の決め方はわからず、本業の加工業の感覚で決めていました。販売について知識がなかった当時は、サポートしていただいたおかげで第一歩を踏み出せたと思います。」
眞鍋さんのサポートもあり、第一号として本格的な商品になったのがジュラルミンの塊を削り出して作るテープカッターです。
栗原精機オンラインストアより 「Tape Dispenser "Silver"」
「Elephant Ornament」デザイナー五十嵐威暢さんのイラストレーションを栗原精機が造形作品にしました。
栗原さんが発足したものづくりコミュニティ MAKERS LINK
これまで、このB2C企画で取材した方々の多くが、『町工場プロダクツ』という団体で共同出展しています。
栗原さんは、町工場プロダクツや、発端となっている『MAKERS LINK』というコミュニティの発起人でもあります。コミュニティ立ち上げのきっかけは、クリス・アンダーソンの著書『MAKERS』との出会いでした。
「2013年にスタートさせたMAKERS LINKは、ものづくりに関わる人が参加できるコミュニティです。クリス・アンダーソンの著書『MAKERS』と出会い、SNSやインターネットを活用したものづくりが進み、大手企業だけでなく個人単位でものづくりする時代になることを知りました。当時はリーマンショック後で不安もあり、新しい波に乗りたいという気持ちでものづくりコミュニティーを探したのですが、ものづくりに関わる人が参加するコミュニティが見つかりませんでした。だったら自分で作ってみようと思ってFacebookで始めました。それがMAKERS LINKです。」
インターネットを通し、知識や技術を教え合ったり、情報を共有し合う考え方は当時のものづくり業界にはあまりない発想でした。
「はじめは知り合い5人に声をかけてFacebookのコミュニティに参加してもらうと、短期間の内に直接知り合いではない方々にもどんどん参加していただけるようになりました。最初は想定していませんでしたが、大学生や20代の若い方々もたくさん参加してくださいました。数ヶ月後にはリアルで会うようになり、ものづくりに関わる人たちとの新たな繋がりを楽しみ、情報共有する機会も増えていきました。
そうした繋がりを楽しんでいましたが、徐々にただコミュニケーションを取るだけではなく実際に参加者同士でものづくりを楽しみ、ものづくりしたい人のアイデアを実現化させることはできないだろうかと考えるようになりました。」
栗原さんの働きかけにより、参加者同士がものづくりを楽しむ取り組みも始まりました。こんなものを作りたいというアイデアはあっても実現する手段や方法がわからず悩んでいる方と技術を持つ町工場が出会いものづくりする取り組みです。実際に、こども用の歯磨きを楽しくするアプリなど商品化したものもあったそうです。共にものづくりを楽しむという精神はグループ全体に伝わり、自主的な活動も生まれていったといいます。
町工場にはじめの一歩を踏み出してもらうための共同出展
栗原精機の手がける自社製品
「2020年に東京インターナショナルギフト・ショーに『町工場NOW!』という町工場が集結したエリアを作るという話を聞き、『町工場プロダクツ』としてはじめて展示会へ出展しました。町工場プロダクツは町工場の技術を活かした自社製品を開発し、お客様に届けたいと考える町工場の集まりです。私自身は栗原精機として単独で展示会へ出展してきた経験がありますが、出展費用もかかりますし無理して出展してきたところもあります。でも出展して得られるものは大きいと思っています。そこで、共同出展という形にすることではじめて展示会に出展する町工場のハードルを低くして、最初の一歩を踏み出してもらおうというのが狙いです。」
栗原さんは自社製品開発に挑戦する町工場の方々に、町工場プロダクツで第一歩を踏み出してもらい、いつかは卒業し単独出展できるようになってもらうことも夢の一つだそうです。町工場プロダクツにはライバルを出し抜こうとするのではなく、周りを巻き込んで盛り上げていきたいという思いを持つ方が集まっているといいます。
事業承継は背負わせるものの大きさと嬉しさの葛藤
栗原さんは息子である栗原匠(くりはら たくみ)さんが栗原精機に入社して3年ほど経った頃、事業承継をすることを本格的に考え始めたといいます。
「息子は入社する以前は別の会社で働いていて、就職した当初は栗原精機に入社するとは思っていませんでしたし、継いで欲しいと言ったこともありませんでした。入社して本格的に事業継承という話になった時は、嬉しかった反面背負わせるものの大きさに心配もあり葛藤していました。でもそこから徐々に色々な引き継ぎをしていくうちに心配はなくなり、今は事業承継に向けて進んで良かったと思っています。」
2022年、入社して4年目になる匠さんは栗原さんの意志や栗原精機のスタイルを受け継ぎつつ、新たな取り組みも始めているといいます。
栗原匠さん
匠さん「今は栗原精機の理念を改めて考えようと取り組んでいます。働く人も自社の製品を使う人も、みんなが幸せになれる会社にしたいと思っていて、その思いをどう理念に反映させるか試行錯誤しています。」
継がせる側の在り方
最後に今後の夢や挑戦したいことを伺いました。
稔さん「これからは色々なことに挑戦しようとしている町工場や、挑戦を続けている町工場などの頑張っていこうという意欲に溢れた伸びしろがある人たちの役に立ちたいと思っています。町工場プロダクツでの活動はもちろんのこと、それ以外でもこれから頑張っていこうとしている方々を引っ張り上げて支援していきたいです。
また、今現在若手に継がせる立場の在り方についてもよく考えます。継がせる立場にあたる人は私と同世代の方々であることも多いですが、上手く世代交代ができない方もいらっしゃいます。」
匠さん「私も後継者仲間と話すことがあるのですが、事業承継したいという気持ちがあっても上手く話が進まないと悩まれている方も少なくありません。」
稔さん「アトツギの場合、結局は親との関わりになるので親だからこそ言えないことがあり、親子だけだと話を進めるのが難しいこともあります。親子だからと言って簡単ということはないです。私の経験談も含めて跡を継がせる側の在り方を発信し伝えていきたいです。」
株式会社栗原精機
所在地 埼玉県川口市峯68-1
会社HP 栗原精機
編集後記
MAKERS LINK、そして町工場プロダクツの発起人である栗原稔さんへのインタビューでした。栗原さんに限らずよく聞くのは、値段を決めることの難しさです。自社製品を販売した経験がない町工場にとっては、製品開発と同じくらいかそれ以上に難しい課題です。B2Cシリーズとして取材を通して感じるのは、販売やマーケティングなどの分野に関しては専門家や知識のある方にコンタクトを取り情報を集めているということです。開発から販売、PRまで町工場だけで取り組むのではなく、様々な人たちと繋がりながら挑戦している姿が印象的でした。
また、今回のインタビューで興味深かったのは「継がせる側の在り方」という言葉です。後継者として跡を継ぐ側(継いだ側)のお話は本企画でも伺ってきましたが、継がせる側の想いや考え方についてインタビューしてみたくなりました。継ぐ側に様々な葛藤や想いがあるように、継がせる側にも同様に葛藤や想いがあるのだと思います。今後、栗原稔さん、栗原匠さんにはその視点からもインタビューしてみたいと感じました。