日本のアトツギとファミリービジネス ー その歴史を紐解く(後編)
2023年06月07日 公開
ものづくり新聞編集長伊藤と、経営学と人文学による社会人教育に携わる奈良美代子さんが対談形式でものづくりの歴史を紐解く、シリーズ企画「日本の歴史から見る、ものづくりの心」。
第4回のこの記事では「未来志向の家業承継を考える」をテーマに、日本のものづくり業界に多いファミリー企業とその承継の由来をたどり、事業を未来につないでいくための承継について考えます。
前編では、
日本はファミリー企業大国?!
世界的なファミリー企業に共通する3つの要素
の2点について考えてきました。後編では、日本における「家」と世襲について、さらには、三井のファミリー憲章についても触れていきます。
ファミリー企業の承継の源流は、「家」と世襲
伊藤:さて、ここから日本の歴史から見た「承継」についてお話ししていきたいと思います。
奈良:日本の歴史からみると「承継」というのは、とにかく「家」というものを代々つなげていく、永続させていくということが大きな前提となります。どうしても血縁者で代をつなげない場合は養子を迎えたり、娘婿を後継者としたり、使用人たちの中から選んで継がせるということを、わりとフレキシブルに行なっていました。
伊藤:つまり、血をつないでいくというよりは、「家名」をつないでいくことを重視したということですね。トヨタの新社長就任のところでもお話にありましたが、血縁者ではない人を後継者とすることの意味は、そういうところにあるのですね。
奈良:おっしゃるとおりです。もちろん、昔は現代ほど医療が進んでいませんので、男女の生み分けはできませんし、不妊治療ができたわけではありません。仮に生まれても病気などで、成人になる前に死んでしまう確率は現代より高かったはずです。
伊藤:そのため「家」をつないでいく立場にある男性は何人もの妻を設け、多くの子を生そうとしましたが、必ずしも後継者が生まれる、育つというわけではありません。コントロールできない血にこだわるより、家名をつないでいくことにシフトしたというのは、永続のポイントだったかもしれませんね。
奈良:そうだと思います。そこで、そもそも「家」という考え方はどのように形成され、どのようにつながれていったのかを、『世襲の日本史 「階級社会」はいかに生まれたか』(本郷和人 NHK出版新書)という本を参考にしながらお話ししたいと思います。
伊藤:現代の「世襲」は、業界によってはあまりポジティブなイメージはありませんが、たしかに「家」の継承ですね。
奈良:「世襲」とは公的な地位とそれに付随する収入、利権等を私的な家のものが引き継ぐことですが、これを考えるうえで重要となるのが、古代天皇の皇位継承と武士による「家」の歴史です。
古代天皇の皇位継承
天皇の始祖は、大和の有力な氏族からなる連合国の頂点にある大王の氏族と考えられ、国家統一に向けて他の氏族を数多く取り込んでいきました。頂点に立つ大王とその氏族は支配にまつわる権力と利権を、他の氏族よりも優位に、永続的に保持していたと考えられています。
そして7世紀から8世紀にかけて大陸を手本とした律令国家が形成されていくなかで、大王は「天皇」という地位として確立されていきました。律令国家の整備を手がけた持統天皇は、夫天武天皇と自分との間にできた子や孫に天皇位を継がせる、「長子相続」による継承を試みました。
ところが持統の一人息子草壁皇子が急死してしまい、草壁の子が一定の年齢になるまで持統自身が天皇となります。その後、一人息子は文武天皇となりましたがこれも短命で、今度は文武の子が一定の年齢になるまでに母や姉が天皇となりました。
伊藤:たしかに日本史の授業で、元明、元正天皇がそのような存在だったと習った記憶があります。
奈良:まさにそのとおりです。「天皇」という地位を天武と持統の直系男子がつないでいくために、「中継ぎ」として男子の母や姉を天皇に立てていたと考えられます。すでにこの時代、政治は貴族たちによる役人が行なっていましたので、天皇はあくまでも政策に正統性を与える権威という存在でした。
結局、天武と持統との間の直系男子は途絶えてしまい、天武の兄で持統の父であった天智天皇の子孫に継承されていきます。
伊藤:すると「天皇」という地位が権威としての機能に限られたからこそ、「中継ぎ」と言う形で女性が天皇になることができた。そして承継すべき皇子がいなくなった場合は、天皇の兄弟の子孫に継承をずらすことで今日まで続いてきた、と言えるのかもしれませんね。
武士による「家」の歴史
奈良:その後、武家社会になると、武士の社会では主人と家来は、土地を仲立ちとする家と家の関係だったと考えられています。源頼朝は自身に従う武士を「御家人」と呼び、御家人が祖先とともに開墾し育ててきた所領の土地に対して保障を与え、朝廷に認めさせたと言われています。
御家人が祖先とともに開墾し育ててきた土地ですので、御家人の「家」の中で受け継がれていく、つまり世襲されていくものであるため、主人と家来の関係も土地とともに世襲されていくというのです。
ここでいう「家」とは必ずしも、DNAによる関係ではなく、養子なども含めた「家」をつないでいくための関係性であったと考えられます。現代の感覚で養子というと自身の子がいない、跡継ぎがいない場合に迎えるイメージです。ところが、この時代は高貴な血筋の子や人を、なんらかの理由で自らの「家」で預かり育て、その子や人に家を継がせていくようなこともあったようです。むしろそのような高貴な人の血筋を受け継ぐ家という権威づけとして、積極的に行われたといいます。
伊藤:武士の主従関係が家と家の関係であったというのは、「家来」「家臣」「御家人」という言葉にも現れていますね。そして土地を世襲していく以上、その土地を保障する主人との関係も世襲されるということですね。
養子の考え方も現代の感覚とは違いますが、「家」をつないでいくために、権威づけのために積極的に行われたというのも、興味深いですね。
奈良:一方で、世襲によって受け継がれる地位は、有名無実化しやすいという特徴があります。
伊藤:必ずしも能力や実力によってその地位についているわけではないからですね。能力や実力がなくても、周囲の人が支える仕組みがあるからこそ成り立つ継承ということですね。
お嫁さんの存在が重要
奈良:そうです。以前、日本のリーダーたちには強力なリーダーシップがなくても国や組織が成り立っている日本特有の現象を、臨床心理士の河合隼雄さんの「中空構造」という理論を参考に考えたことがあります。(参考記事)
中空構造とは、「中心に強力な力があって、その力や原理によって全体を統一してゆこうとするのではなく、中心が空であっても、全体のバランスがうまくできている」という日本人の心のあり方なのですが、世襲はまさに中空構造と言えます。(参考文献)
またフランスのエマニュエル・トッドという歴史人口学者によると、長子相続による「直系家族」というのは、家長やリーダーは存在そのものに意味があり有名無実化しますので、他家から入ってきた嫁が実質的に「家」を経営していくことになります(参考文献)。つまり嫁は「家」を切り盛りし、子供たちを教育し、親や従者たちの面倒を見るなどするため、嫁の力量が「家」の行方を左右すると考えられています。
以前、ファミリー企業の方にインタビューしたとき、経営者のお母様や配偶者の方の存在が、事業や経営に影響力があるということが分かったのですが、トッドの長子相続による「直系家族」という観点から考えると、説明できる現象だと思っています。
伊藤:お嫁さんの存在ですか、それは面白いですね。おそらく製造業の企業では、お嫁さんやお母様が実質的に経営に携わっているということは少なく、あくまでも裏方というか家族として支えているパターンが多いと思います。
ただ、たとえば旅館経営や料亭のようなサービス業ですと、女将として経営に携わることはありますし、女性としての強みが生かせますよね。
奈良:そうですよね。そのインタビューでは、その経営者の方は、幼いときからお母様に「あなたが会社の跡取りだ」と言われて育った方が多く、他の兄弟姉妹とは明らかに区別されて育ったという方もいらっしゃいました。お母様がお子様をいかに跡取りとして教育するのかということも、事業承継には重要なポイントだと思います。
伊藤:ただ、最近は跡を継げという親御さんも少なくて、基本的には子供の頃は自由にさせていて、学校を卒業してから他の業界に行ったけれど、結果として家業に戻ってきた、跡を継いだという方が多いと思います。
奈良:なるほど。たしかにお母様に言われて育った方も、一度は他の業界で勤めをしたという方もいらっしゃいました。それでも戻ってきたということは、やはりお母様の「跡継ぎに」という思いや言動が、お子様への無意識の刷り込みになっていたのではないかと想像しています。
また、戦前戦後にできた100年くらいの歴史の製造業ではあまりないのかもしれませんが、江戸時代といったような時代から200年も続いているような家業となると、やはり次世代につないでいくことが重要ですので、お母様や配偶者の方も一体となってやっているのではないかと思います。
伊藤:いずれにしてもお母様やお嫁さんの存在は大きいということですね。
三井を財閥にまで押し上げたファミリー憲章
奈良:江戸時代になると、争乱のない平和な時代でしたので、やはりますます世襲がマッチしてきます。凡庸な2代目や3代目でも務まるというか、むしろ凡庸じゃないといられない。余計なことはしないでほしいという周囲からの同調圧力もあり、志のある人にとっては、少し窮屈な時代でもあったかもしれません。
特にこの時代、武士の「家」とは別に三井や鴻池といった大きな商人の「家」がありましたが、それぞれの一族では、IMDのファミリービジネスアワードの受賞企業にも通じる家業の運営を行なっていました。
たとえば「越後屋三井八郎右衛門」を屋号とする呉服屋を経営していた三井家ですが、創業者の三井高利の遺言をもとに、後継者である長男が「宗竺遺書」(そうちくいしょ)を制定しました。
伊藤:店先で呉服を売ったり、売掛金ではなく現金での取引に切り替えたり、呉服業界ではタブーとされた反物の切り売りなど、当時としては珍しい新商法を打ち出した越後屋、三越百貨店の始祖のような存在ですね。
奈良:そうです。「宗竺遺書」を一言でいうと、「家業を永続し、今後ともいっそう繁昌させること」という基本理念を同族に求めた家訓で(参考資料)、どういう心掛けで商売をし、家族が商売にどのように関わっていくべきか、商売のために財産資産をどのように管理していくのかを示したものです。まさに今でいうファミリー憲章だったと考えられます。
持ち株会社「大方元」による経営
同族の結束を図るためにこのファミリー憲章を制定したのと併せて、同族の共同出資で「大元方」という統括機関を設置して、資本・各店舗・事業を共有財産として管理しました。
伊藤:今で言う持株会社のようなものでしょうか?
奈良:そうだと思います。この財産を本家筋6家と養子筋の3家の9つの家が持分に従って共同所有するのですが、その持分と各家の相続に関する規定があり、その中では、持分権に相当する財産を分割請求したり、処分したりすることが認められてはいなかったようです。(参考資料1、参考資料2)
ある意味、商売用の資本を分散させない知恵ともいえます。財閥の経営史の研究によると、家業の成功によりこれだけの大商家になると、財産は当主個人のものではなくなり、事業に関わる当主一族の総有の形になったそうです。そして家業の永続を重視したとき、家業の資産を個人とは切り離した「大方元」という別の機関で管理し、事業そのものが永続的に自動的に運営され続ける仕組みになっていったとのことです。
伊藤:個人のおカネと事業のおカネを分けたことが、事業の永続につながっているということですね。むしろそうすることで、複雑な手続きを経ずに事業承継ができたのかもしれないですね。
三井のアントレプレナーシップと事業承継
そして長男でも跡取りに向いていなければ一人息子であっても見限っても構わないこと、そのときは養子を迎えるなどして、家業の存続にふさわしい人を育成すべきこと、跡継ぎの長男や養子は、幼少時から使用人と同様に家業に従事させて、商売のイロハを学ばせることなど、50項目にも及ぶ決まりがあったようです。(参考文献)
伊藤:事業承継に関する考え方も示されていたのですね。面白いのは、武家社会の世襲とは違って、商家の当主にふさわしい商才というか才覚がなければ、長男といえどもその地位に就いてはいけない、当主にふさわしい人として養子を迎えるということが決められていたのですね。
奈良:おそらくまったく別の家から養子を迎えるのではなく、養子筋の3家のいずれかから迎えたということだと思いますが、単に「家」をつないでいくだけでなく、ビジネスとして結果を残していく必要があると言う意味では、跡継ぎについてもシビアにならざるを得なかったのかもしれませんね。
伊藤:まさにIMDのファミリービジネスアサード受賞企業に共通する3つの特徴のうち、オーナー一族の強い結束、事業やガバナンスへの関わりを明文化したファミリー憲章と長期にわたる計画的な事業承継のプランの2つの特徴に当てはまりますね。
ちなみに、大名貸しや投機的な取引、やみくもな新事業への進出を禁じたというのは、どうしてなのでしょうか?
奈良:先にも触れましたように、この家訓は家業を永続していくことに重きが置かれていますので、大名と深い関係になって大金を貸してはならない、高リスクな投機で安易に利ざやを稼ごうとして、大金を失ってはいけない、身を正しく持ち、本業できちんと稼げということだったかと思います。ある意味、保守的で、アントレプレナーシップとはかけ離れる印象だなと思っているのですが。
伊藤:でも、どうでしょう。三井は両替商にも進出しそこでも成功していますので、アントレプレナーシップを発揮はしていたようにも思えるのですが。
奈良:そうですね、たしかに明治以降も財閥としてさまざまな事業に取り組んでいますので、新規事業に取り組んではいけないというより、投機的な放漫経営を諌めるものなのかもしれないですね。
伊藤:三井以外の商家はどうでしょうか?
三井も鴻池も質素倹約を旨とし、一族が団結して家業を永続させることに注力していますが、鴻池は本家への忠義や奉公が厳しく求められたようです。財産や資本の分散の回避にはつながったようですが、厳しい締め付けがあった分、分家や別家の跡継ぎがいなくなり、事業承継が難しくなっていったようです。
伊藤:本家を中心とする集権的な組織運営というところが、持ち株会社のような「大方元」を中心に運営されていた三井とは違うということですね。
奈良:そのほかにもここまで大きな商家ではないですが、何代にも渡って北海道の木材の伐採を請け負っていた商家がありました。三井や鴻池のような形の家族憲章というか家訓のようなものはなかったのですが、子孫たちのそれぞれの業績をみると、ある代の当主の遺言が、そののち理念や家業の精神として受け継がれたのだろうという研究もありました。
伊藤:大なり小なりこの時代の商家には、事業を永続させていくための知恵と理念があり、何かしらの形で事業承継に影響を与えていたということですね。
まとめ
伊藤:今回は前編と後編の2回にわたって、ファミリー企業の事業承継について、世界的なファミリー企業や日本の歴史にみる承継のあり方などを参考にしながら、お話しをしてきました。
奈良:そのポイントは
- ファミリー企業の事業承継は、とにかく事業を後の世代に繋げて永続させていくことが重要な目的であり使命である
- そのためには、ファミリーが結束して、計画的な承継のプランを立て、ファミリーがどのように関わっていくのかを何かしらの形で明文化しておく必要がある
- そのうえで、承継者がアントレプレナーシップ(起業家精神)を発揮して、新たな事業やイノベーションに取り組んでいく必要がある
といったところだったかと思います。
事業承継は変革とアントレプレナーシップ発揮のチャンス
伊藤:星野リゾートの社長 星野佳路さんは『星野佳路と考えるファミリービジネスの教科書』(日経BP)という本の中で、ファミリービジネスの良い点のひとつは、新しいことがやりやすくなることだと、ご自身が家業を継いだ経験からおっしゃっています。
事業承継は先代とはまったく別の人にバトンタッチすることなので、そこでドラスティックな変化が起きます。30年〜40年に一度、「アトツグ」ということが発生するので、そのたびに変化を強制されることが、そのファミリービジネスにとって良い点なのではないかと思っています。
ですので、意図的にアントレプレナーシップと言わなくても、跡継ぎの方が新たな経営者になることで、何かしら変わるきっかけにはなると。
奈良:なるほど、事業承継は変化や変革を起こしやすいタイミングでもあるということですね。
伊藤:三井のところでもお話がありましたように、跡継ぎの方は経営者としてそれなりの教育を受けてきていますし、若い頃から勉強して、自分が跡を継いだときは何をしよう、どうしようということを長い年月をかけて考えてきています。ある意味、長期的な承継の計画の中で変革のプランも織り込まれている、そんな気がします。
事業への思いを明文化することが事業承継の第一歩
奈良:おそらくそういうことができる方というのは、ファミリーに伝わる事業の精神や理念を、自分なりに解釈し時代に合わせて更新できる方なのだと思います。もちろんその精神や理念というのは唯一無二のものですが、それを現状維持と解釈するのか、新しいことをやっていこうと解釈するのかは、その方の解釈力によるという気はします。
以前インタビューした方の中には、新しいことができる、ワクワクするといって跡を継がれた方も結構いらっしゃいました。私ならこういうふうにする、こんなことができる、異業種での経験が家業ではこんなふうに生きると考えながら継ぎましたと言う方もいらっしゃいましたね。
そういう方に共通しているのは、ご両親の背中や従業員たちの働き方を見ながら、家業の精神や理念について自分なりの考えをお持ちだったことです。ご自身の中のプログラムでアントレプレナーシップを育むのも、そういうことがポイントのような気はします。
伊藤:江戸時代の三井や海外の事例にもありましたが、先代がきちんとファミリー憲章のような形で家業の精神や理念を明文化して次の世代に意図的につなぐというのが、ある事業承継とない事業承継とでは大きな違いがありそうですね。
事業承継でお困りの方は、自分一代限りの社長であるとか、お忙しくて家業の精神や理念を明文化したことがない、承継のプランがないといったパターンが多いのでしょう。そのために跡を継がれた方がどうしたらいいのか分からないということが多く、先代の思いや意志を理解しないまま別のことをやる、家業から離れるといったことがあるのだと思います。それでトラブルになる・・・。
ですから、跡継ぎの方をはじめステークホルダーに、家業の精神や理念を分かるものを残しておくというのは大切ですね。
奈良:そうですよね。そもそも跡継ぎや事業承継を考えたとき、誰に継がせるかという問題もあるでしょうし、どうやって継がせるかという問題もありますよね。
伊藤:その2点を考えるには、やはり事業に対する自分なりの思いを明文化して、そのバトンをつなぎ体現してくれそうな人を探して選んで育成する。やはりそこから事業承継はスタートするということですね。
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日本はファミリー企業大国?!
世界的なファミリー企業に共通する3つの要素
対談メンバー紹介
ものづくり新聞 編集長 伊藤宗寿
「あらゆる人が ものづくりを通して 好奇心と喜びでワクワクし続ける社会の実現」をビジョンに活動する製造業向けインタビューメディア「ものづくり新聞」編集長。早稲田大学理工学研究科にてネズミ型ロボット研究テーマを立ち上げた後、電通国際情報サービス、イメーション、ミスミ、シンラ・テクノロジー・ジャパン、Mozilla Japanを経て現職。主に製造業の業務改革、DX/IT化プロジェクト推進、販売促進支援などが専門。
奈良美代子
グロービス経営大学院大学にて制度設計、カリキュラム・科目開発、リーダー育成などに従事。2018年よりフリーランスとして活動。経営学と人文学(主に日本文学・文化)の知を綜合した社会人教育、企業研修の開発を手がける。
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