「アトをついでないアトツギ」日本ツクリダス 角野嘉一さん(日本ツクリダス特集1)
大阪の泉北高速鉄道という鉄道路線の「泉ヶ丘」という駅を降りて車で5分ほど、新興住宅街のなかにそのオフィスは建っていました。目立つ青い建物。そして大きなFive Star Factoryというロゴ。この建物が日本ツクリダス株式会社の本社です。
1階が工場、2階がオフィスとなっています。靴を脱いで階段を上がるとそこにも同じロゴがあります。
このロゴは社員が共通の認識を持つためのシンボルとしてあらゆるところに掲げられています。『5つ星の工場を目指す』という行動指針を表しているそうです。
オフィスを見せていただきました。机の上には何もありません。このエリアはバックオフィス業務関係の方が座るエリアだそうですが、フリーアドレスとなっているそうです。パソコン用モニターが一人2台設置してあります。
オフィスには社内の様子が一目でわかるモニターと、社内システムが閲覧できるパソコンが置いてあります。モニターを見れば、誰がどこにいるかすぐわかるので電話があった場合にもすぐ返事できるのだそうです。
1階の工場に降りてみると、明るい室内に驚きます。さらにおしゃれな小さな照明も下がっています。これはおしゃれのための飾りだそうです。
工場にはコンパクトにNC旋盤やNCフライスなどの工作機械が並べられています。ここにもFive Star Factoryのロゴが飾られています。
このロゴの下にもモニターとパソコンが設置されています。このシステムが自社開発の工程管理システム「エムネットくらうど」です。案件ごとにカードのように一つ一つの工程が並んでいます。これを見れば一目でどこまで進んでいるのかがわかります。この仕組みの特徴は、あらかじめ管理者が全部の工程と担当者を割り振るというスタイルではなく、担当者が自分でこのパネルを見ながら次どれを担当すればいいか自分で決められるという点にあります。担当者の自主性・自律性に重きを置いているのだそうです。
担当者はこのシステムを見て担当する案件の図面をその後ろのポケットから持っていきます。この図面についているバーコードを読み取り作業を開始するそうです。現場の担当者にとっては紙のほうが使いやすいからということでした。
社内を回っていると、働いておられるのは若い方々が多いことに気が付きました。お伺いすると平均年齢は36歳だそうです。
加工が終わった部品は検品コーナーに回ります。検品コーナーでは社内で加工した部品だけでなく、外部に委託して送付されてきた部品も検品しています。作業されている方々の上着の赤色が素敵です。
おしゃれな建物、明るい室内、社内に掲げられているロゴ、そして平均年齢の若い職場。入口にはこんな写真も飾られていました。
こんな明るい活気ある町工場を経営するのは、代表取締役の角野 嘉一(かどの かいち)さん。いただいた名刺の裏面にはこんなことが書いてあります。「アトをついでないアトツギ」。どういうことなんでしょうか?
ーーMISIAお好きなんですね。
大学時代は水泳中心の生活だったのですが、バンド活動もしていたんです。JPOPをカバーしたりオリジナルの曲を作ったりしていました。バンドイベントをやったりもしていました。バンド活動をしていたつながりでスノーボードのイベント販売を行う会社で仕事をしていました。そこでホームページを作ったりインターネットで集客をしていました。そんなころ父親の工場に入りました。
ーー角野さんは日本ツクリダスのアトツギではなかったんでしょうか?
日本ツクリダスのアトツギではなく、もともと父親の会社のアトツギ候補でした。父親の工場は1社からの受注に依存していた工場でした。それでは将来が危ないと思って他の顧客開拓を行いました。スノーボード販売で経験したインターネットの集客のノウハウを使って集客した結果、顧客数は100社にもなりました。しかし、工場のキャパシティには限界があり、自社で加工できないものは断るしかありませんでした。
ーー100社まで増やした後はどうしたのでしょうか?
私は他の協力会社様も含めて製造商社として案件を獲得していっていいと思っていました。案件が増えたため社内の人的リソースを検査や出荷に割り当てることになり、社内でのものづくりができなくなってきたためです。それであれば、製販分離し独立した製造商社を設立したほうがよいと考えました。
ーーそれで日本ツクリダスを創業したんですね。
2009年に父親の会社に所属しながら個人事業主として創立し、2013年に法人として設立しました。そのころ現取締役の西田 晃平さんが後押ししてくれたので、一緒にやることにしました。
ーーでは、独立したころは、製造商社として事業をされていたんですか?
はい、最初は製造商社でした。しかし、特急対応の依頼が増えてくると、自社で加工製造したほうがよいということで、工作機械を入れて自社製造もやるようになりました。私自身が父親の会社で現場を担当していましたので問題なく自社加工もできるようになりました。
ーーなぜ自社で独自の工程管理システムを開発するようになったのでしょうか?
もともとExcelで工程管理をしていましたが、Excelでは難しいのでシステムを自社開発しようと考えました。しかし、市販されている工程管理のソフトウェアは高い、難しそう、そんなに(機能が)いらない、という3つの問題があり、私たちには向かないと思いました。また、どうせ作るならば最初から売ることを考えて作ろう、ほかの会社でも使えるようにしようと考えました。
ーー他社にシステム販売したいとお考えになったのはなぜですか?
ものづくりのビジネスは基本的にフロービジネスです。仕事があるときはいいのですが、仕事がなくなると売り上げがなくなります。ソフトウェア事業はストックビジネスです。また、私たちと同じように困っている町工場はたくさんあるはずだと思ったんです。そんなところの力になりたいと思いました。
ーー実際に工程管理システム「エムネットくらうど」を販売開始されていかがでしたか?
最初はなかなか売れませんでした。2014年に販売開始しましたので、初年度の販売実績は0件でした。2年後に初めて契約に至った時も、年度内に売れたのは1件だけでした。
ーーたった1件ですか?
そうなんです。最初は売り方が良くなかったんだと思います。システムを販売するんだからと背広を着て営業に回っていたんです。
ーーどうやって売れるようになったんですか?
町工場の作業着を着てそのまま営業に行くようにしたんです。そうすると、お客さまとお話しするハードルが一気に下がった気がします。同じ町工場の目線でお話しする、場合によっては厳しい意見もする、そういう営業方法に変えたことが良かったんだと思います。その結果、現在(2021年12月時点)では100社を超える方々に使っていただいています。
ーー工程管理システムは他にもたくさんありますが、特徴はどのような点ですか?
私たち自身が属人化を劇的に解消し、探したいものを探したいときにどこからでも探せる環境を作り出すことができました。私たちが自信をもって作ったシステムです。特に50名以下の規模の町工場の皆さんにピッタリなシステムだと思います。
ーー人材は異業種から積極的に採用されていますよね?
異業種からさまざまな知見を取り入れたいと考えています。日本ツクリダスの仕事はここで覚えればよいと思います。むしろ経験していないほうが真っ白で吸収が早いのではないでしょうか?製造業から転職してくると前の職場はこうだったというプライドや先入観念が入ったりすることもあります。異業種かどうかというよりも、私たちの会社にどれだけ興味をもっていただけるか、が大切だと思っています。
ーー最近、角野さんが外部講演を積極的に増やしておられるというお話をお聞きしました。
町工場って、DXや改善などに取り組むことによって便利になるってわかっているのに知る手段がないんです。コミュニティを作って町工場同士で手を取り合って町工場を盛り上げていきたいと思っています。成長したいと思っている町工場と一緒に成長していきたいんです。そのため、商工会などに呼んでいただき、積極的にお話しするようにしています。
ーーそのような場で日本ツクリダスさんの取り組みや事例をお話しされるんでしょうか?
そうです。エムネットくらうどの宣伝というよりも、私たちの改善やDXの取り組みを見ていただくことで、実践すると便利になるという具体的な情報と安心感を持っていただき、DXが大企業だけのものじゃないということが伝えられればと思っています。
ーー今後、日本ツクリダスをどんな会社にしていきたいですか?
従業員にとって楽しく、成長を実感できる職場にしたいと思っています。また、町工場のなかでは「ありえへん」町工場になりたい、モデルとなる町工場になりたいと思います。そして町工場同士が楽しくつながり、お互いを高めあえるプラットフォームを構築していきたいです。
ーープラットフォームですか?
町工場の受発注プラットフォームのようなものを構築したいです。大手依存、他者依存ではなく、町工場自身で作り上げていきたいです。
ーー読者の方へメッセージをお願いします。
デジタル化や生産管理などの管理系の取り組みは儲けにならないというイメージがあるかもしれませんが、実際には儲けにつながる取り組みなんです。ぜひ皆さん一緒に取り組んでいきましょう!
日本ツクリダス株式会社所在地:大阪府堺市南区豊田1540番地2代表取締役 :角野嘉一会社HP:https://www.netkojo.jp/エムネットくらうど:https://www.netkojo.jp/service/m-net
編集後記
「大手依存、他者依存ではなく、町工場自身で作り上げていきたいです。」という言葉が印象的でした。角野さんは町工場の代表ですが、ものづくり新聞の取り組みと共通するビジョンがあり、目指すところは似ていると感じました。