作り手が真ん中にいる自社ブランド『ヤマチク』 働く人の価値を最大化するためにひた走る
皆さんがご家庭で使われている箸は何から作られていますか?
熊本県南関町(なんかんまち)という小さな町に、竹の箸を製造・販売している株式会社ヤマチクがあります。
(c)ヤマチク
竹の箸作りを覗いてみましょう
工場の外では、竹を蒸したり乾燥させる大きな機械が並んでいます。防カビ、防虫のためどちらも欠かせない処理です。
編集部が伺うと、箸を蒸す機械をきれいに掃除している最中でした。この建物の裏には山が広がっています。
こちらは竹を乾燥させる機械です。左にある煙突状の部分で燃料を燃やし、箸を乾燥させます。
裁断した竹の切れ端も、燃料として再利用しています。
工場の中では、竹を切ったり箸の形に加工する作業が行われています。
加工の際大事なのは、竹の皮目を残すこと。竹は皮目を削りすぎると強度が落ちてしまいます。ひとつずつ形や曲がり具合の違う竹の状態を見ながら、専用の機械で加工していきます。
形状が出来上がると、塗装が必要な商品は、専用の加工場で塗装していきます。その後、よく乾燥させてから検品や梱包を行い、商品が完成します。
今回は専務取締役の山崎彰悟(やまさき しょうご)さんに、ヤマチクの取り組みについてインタビューしました。
実家と工場は隣り合わせ
🗞子供の頃から家業は身近なものでしたか?
「実家と工場が隣同士なので、社員の方に遊んでもらったり、夏休みの工作を手伝ってもらったりと交流があり身近でした。それが良い思い出だったというのも、家業に入った理由の一つになっていたと思います。もし、嫌々働いているのを見ていたら、継ごうとは思いませんでした。」
🗞子供の頃お世話になって、現在でもヤマチクで働いている方はいらっしゃるのですか?
「いますよ!友達のお母さんが働いていたり、子供の頃はその友達と習い事が一緒で送迎してもらったりとか、そんな付き合いもありました。」
🗞ヤマチクに入社する以前は、どのようなお仕事をされていたんですか?
「大阪のシステム会社でSEをしていました。法律学部出身なので、ゼロからのスタートでしたが、楽しかったです。理系学部出身の人が多い中で、文系である自分にしか提供できない価値は何だろうと考える日々でした。この考え方はヤマチクに入社してからも変わらないですね。」
🗞趣味は何かありますか?
「読書が好きで、5分でも時間があればすぐ本を開くようにしています。ジャンルは問わず、小説やビジネス書を読んでいます。鞄の中に本が入っていないと気持ち悪いですね。笑 あとは、プロレス観戦が好きです。月額制のプロレス専用動画配信サービスに加入して観ています。」
竹の床材から“竹の箸”一本へ
🗞山崎さんのお祖父様が創業されたのですよね。
「私の祖父が前身の“山崎竹材工業所”を福岡県早良区で創業しました。きっかけは、祖父の歳の離れた兄が割り箸製造業を営んでいて、そこからのれん分けをし、竹の箸部門を引き継いだと聞いています。ただ、当時は竹の箸だけではやっていけず、竹を使った床材や箸の材料を作っていました。」
🗞竹の床材ですか。
「当時、床材をお納めしていた会社への売上が約9割を占めていて、その企業から増産要求が掛かり、現在の熊本県南関町に誘致企業として移転しました。竹を蒸し、乾燥させる際に火を使うので、南関町の自然豊かな環境が合っていました。しかし、移転して1年ほどでお取引先が倒産し、仕事がほとんどなくなりました。」
🗞それは大変でした。
「残り1割の箸の仕事をコツコツしていくしかありませんでした。それでも当時は完成品を作る技術が社内になく、大分県に箸メーカーが多くあったのでそちらへ箸の材料のみ納め、箸の形が作れるようになったら福井県のメーカーへ生地を納めていました。その後少しずつ塗装の機械を導入し、技術を身に付けていき、軌道に乗り始めた平成3年(1991年)頃に法人化し、株式会社ヤマチクとなりました。」
🗞加工や塗装の機械を導入することで、新しい仕事を受注できるようになっていったのですか?
「設備投資もしていますが、箸づくりは手仕事のノウハウが一番大事です。試行錯誤しながら開発していきました。ヤマチクの塗装はウレタン塗装と漆塗りがあるのですが、特にウレタン塗装は、完成品として販売できるようになるまでに10年以上かかりました。」
🗞苦しい時代を乗り越え、コツコツ積み上げてきた技術が今のヤマチクを支えているのですね。
「完成品が作れなかった時期はもちろん苦しかったのですが、その後完成品を作れるようになってからも、元々材料を納めていた取引先と競合になってしまうため苦しかったです。当時は、受注できても納期や値段が厳しく、他メーカーが断ったものばかりでした。でも、そのおかげで、QCD(品質・コスト・納期)の面でお客様のご要望に応えられる会社に鍛えていただいたと思っています。」
家業に入った時の第一印象は、“もったいない”
🗞次期後継者としてヤマチクに入られてからはどうでしたか?
「24歳でヤマチクに入ったばかりの頃は、正直ちょっとやりにくかったです。昔から働いている方々からしたら、小さな頃から知っている奴が帰ってきて急に文句を言い出すわけですから、嫌だったのではないかと思います。でも、それはあって当然なので、覚悟を決めていましたね。」
🗞その時のヤマチクの第一印象はどうでしたか?
「第一印象は“もったいない”でした。
1つ目は生産管理について。当時は生産管理という概念が社内になかったため、残業や休日出勤をしながら働いているのに売上に繋がらず、一生懸命やればやるほどキツそうでした。せっかく頑張っているのに成果に結びついていないのは非常にもったいなかったです。
2つ目は、仕事への考え方や思いについて。ヤマチクで働く人たちが自分の仕事を尊いものだと認識していなかったことです。ヤマチクにしかない機械を使ってする仕事は、きっと世界で自分たちしかできない仕事なのに、仕事の価値や存在意義があまりわかっていなかったんです。」
リブランディングの原点は、“内側”
🗞生産管理という考え方がない中で、仕事はどのように進めていたのですか?
「作る箸の情報は仕様書で把握しているので、目の前の仕事の内容はわかるけど、どういうお客様がいて、どういうところに卸して、それがどんな商品なのかはわかっていませんでした。要するに、この箸がどんな形かは知っているけど、その先のお客様のことは知らないんです。
でも自分が作った商品が最終的に売れようが売れまいが、毎日目の前の仕事をしていけば給料は出るわけです。それはそれで良いんですが、なんか寂しいし、やりがいがないよなと。そんな思いから、お客様情報や仕事の見える化に着手しました。」
🗞実際にどのような仕組みを取り入れたのですか?
「それまでも案件ごとの仕様書はありましたが、一覧にはなっていなかったので、ホワイトボードに受注商品、お客様、数量、着手日、完了日などを書き込むことにしました。基本的には着手した人が日付を記入しています。元システムエンジニアですが、DXはやりたくなかったんです。」
🗞DXをしたくなかった理由は何ですか?
「なぜかというと、システムを導入する以前にiPadの使い方を教えるところからハードルになってしまうと感じていたからです。結局形骸化してしまいそうだったので、一番わかりやすく誰にでも使えるホワイトボードにしました。」
🗞皆さんそのホワイトボードを見て今日や明日の仕事を把握しているのですか?
「毎日の業務終了後に、私、工場長、箸木地製造部門の担当者、塗り場・出荷部門の担当者の4名が集まり、進捗を共有し、次の日の工程を組み立ていきます。翌日の朝礼でそれを全員に共有し、それぞれが自分の仕事を把握します。ホワイトボードは案件ごとの進捗状況や、お客様の情報などを確認する際に見ています。」
🗞例えば、同じ仕事でも人によって作業時間に差が出てくることがあると思います。標準作業時間を設けていたり、時間設定をしたりということはありますか?
「もちろん人によってできるできないはありますが、値段を付けているからにはここまでにはできなきゃダメというラインがあります。そこはきっちりやってほしいと伝えています。逆に想定よりも早くできた時にはきちんと評価するようにしています。」
🗞それはコミュニケーションの中で伝えているのですか?
「それもあります。作業の一つ一つを細かく見ているわけではないのですが、注文数や納期などはある程度把握しているので、例えば毎日の朝礼で遅れに気付いたら、ただ遅れていると指摘するのではなく、なぜ時間がかかっているかをヒアリングしています。」
価値ある仕事であるという意識を作る
🗞2つ目の“もったいない”について、教えてください。
「外から来た私からすると、自分たちが尊い仕事をやっているという意識がなかったのがとてももったいないと感じました。」
🗞尊い仕事をしている意識というのは、具体的にどういった場面で出てくるのでしょうか。
「例えば、友達と食事に言った際に『仕事どう?』と聞かれてなんて答えるかとか、自分の子供たちに仕事のことをどう説明するかといった場面で、出てくる言葉がポジティブなのかネガティヴなのかということです。私は結構それを気にしています。」
🗞会社や仕事に対する思いがポジティブなものであって欲しいという願いがあるのですね。
「拠り所になるものを会社が作らないといけないと思っています。もちろん、それまでもそれぞれ仕事に対する思い入れはあったと思うのですが、会社レベルで形にしていこうと考えました。」
🗞2つのもったいないという思いから取り組んだリブランディングについて、改めて山崎さんの思いをお聞かせください。
「対外的に打ち出すための取り組みでもありましたが、内側のことも結構意識しました。だからこそ、ホームページや会社案内では難しい言葉を使っていません。」
🗞まず働く人たちのことを意識した取り組みだったのですね。
「ヤマチクの箸づくりに関わる人たちが、すごいと言ってもらえる環境を作るにはどうすればいいのか、というのが、このリブランディングの大前提です。そのすごいという評価を売上に変えるために、自社ブランドがあり、PR活動があります。」
社員を蚊帳の外にしない自社ブランド
2019年にヤマチクの名前を背負った自社ブランドがスタートし、今では売上の約4割が自社ブランドになりました。現在、ヤマチクは自社ブランドとOEMの2つの軸を持っています。それぞれの事業について伺いました。
🗞自社ブランドに取り組む中で気を付けたことはありますか?
「あるあるかもしれませんが、外部のデザイナー、社長や後継者、あるいは経営層のメンバーだけで話をして中身を決めてしまうと、社員が蚊帳の外なんですよね。それはOEMの仕事と変わらないんです。そうならないようには心がけました。」
🗞社員の方々も巻き込むことを意識されたのですか?
「そうです。でも、当然仕事への向き合い方はそれぞれ濃淡があります。それはあっていいと思っています。なので最初は希望者を募り自社ブランドの準備を進めていました。一緒に東京や大阪の展示会へ視察に行き、デザイナーも含めてコミュニケーションを取ることを大事にしました。」
🗞デザイナーの方がどれだけ入り込んでくれるか、というところも大事な気がします。
「デザイナーさんを探していた時に、BRIDGE KUMAMOTOの佐藤勝昭(さとう かつあき)さんという方を知り合いから紹介していただき、はじめはホームページと会社案内の作成をお願いしました。佐藤さんは現場に入り込んで深く関わろうとしてくださるので、相性が良かったと感じています。」
🗞希望者以外の方は自社ブランドの取り組み対してどのような印象をお持ちだったのでしょうか。
「構想を練っている間は、当然成果物がまだないので、どうするんだろうと遠巻きに見ている感じでしたね。印刷やディレクション、視察研修の費用だけがどんどん出ていき、お金を1円も産まない時期は不安だったと思います。作っていればすぐお金になるOEMの仕事を止めてまで自社ブランドに取り組んでいたので、正直にいうと現場が疲弊していた時もありました。」
🗞現在、社員の皆さんから理解が得られるようになった理由は何でしょうか。
「やはりちゃんと成果を出せたことです。最初に開発した『okaeri』がきっかけで新規の取引先が100件ほど増えました。それ以降共同開発や新商品開発に取り組んでいますが、どれもこれも社員の皆さんが培ってきた技術の上に成り立っている話なので、そこを離れてデザインや企画はしないと徹底しています。」
(c)ヤマチク
🗞社員の皆さんが成果を身を持って実感したのですね。
「今では、社員が自分で自社製品を買ってお祝いで送っています。デザインやマーケティングももちろん大事ですが、社員が本当に自分でお金を出して買いたいかというのは、データよりも大事だと思っています。」
コロナ禍でOEMの受注が減り、考えたこと
🗞これまで主力としてきたOEMの仕事に対しては、どのようなお考えをお持ちですか?
「OEMの仕事は、ものづくりに集中することができます。営業リソースがなかった私たちにとっては、目の前の製造の仕事に集中できるのですごく助かる仕事なんです。でも、それはいつまで続くかわからない。自分たちが意志を持って売り上げを作ることができないので、いつかなくなることも当然あります。2020年4月に1回目の緊急事態宣言が発令された時、一気に注文が止まり、それを身を持って実感しました。」
🗞その時はどのような状況でしたか?
「OEMでいただいていた受注が一斉に止まり、一部動いていた案件もありましたが、売上が半分になりました。しょうがない話ですが、受注が止まり、作っていたものもやっぱりキャンセルと連絡が来たりしました。
でも、2019年からはじめた自社ブランドがあったので、自分たちの意志で商品を売るという選択肢が残されていたことが幸いでした。」
(c)ヤマチク
🗞コロナ禍の苦しい中、自社ブランドの製品をどのように販売していったのですか?
「自社のECサイトで販売したり、地方の小売店に直接アプローチを掛けたり、ノベルティーの案件を受注しながら何とかやってきました。そのおかげで、9月にはV字回復できました。」
🗞受注が落ち込んだ時、山崎さんを含め社内の雰囲気はどんな様子でしたか?
「私自身は実は結構ポジティブな部分もありました。というのも、自社ブランドを立ち上げた2019年頃は、海外旅行客インバウンドの最盛期でOEMの仕事がめちゃくちゃ忙しかったんです。その中で、『この忙しさはいつか無くなるから、自社ブランドを作らないとダメだ』と言っても、目の前の仕事が忙しいのに、こいつ何言ってんだという感じでした。だから、OEMの受注がなくなった時は確かにピンチでしたけど、やっぱりその時が来たと思いました。」
🗞なるほど。皆さんもOEMの持つ危うさを身を持って実感されたのですね。
「そうですね。OEMはありがたいですが、依存してしまうとどうなるかというのが分かったと思います。」
🗞その時になってから始めるのではなく、既に自社ブランドを立ち上げられていたことの影響は大きかったですか?
「大きかったですね。2019年に立ち上げていますが、自社ブランドをやろうと言い出したのは2017年頃ですから、立ち上げまでに2年近くかかっています。それを、コロナ禍でやろうとしたら、目先の売上ばかり気にして焦ってしまって良いものはできなかったと思います。」
🗞コロナ禍になってからイベントを主催されたとお聞きしました。
「コロナ禍以前は、いかに大きなマーケットに売り込んでいくかということをずっと考えていました。でも、コロナ禍になり都市部の大型商業施設が休業し、旅行にも行けないとなった時に、世界と繋がりながらも私たちが南関町にいる理由を考えるようになりました。その時に、何百万人もの都市でシェア1%を目指して凌ぎを削るのもいいけど、人口約8,000人の町で全員が使ったことがあるというのも価値があると思ったのです。そんな思いから、地元の人にも知ってもらい、楽しんでもらうというイベントを開催しました。」
🗞実際にはどのようなイベントになったのでしょうか?
「これまで全国の展示会に出展してきた際に知り合ったものづくり企業の方々をお呼びし、物産展のような形で展示販売するイベント*です。これまでに3回開催しました。開催前はアクセスも良くないし、誰が来るんだろうと内心不安に思っていた部分もありましたが、今年は3日間で約1,200名の方々にご来場いただきました。地元の方はもちろんのこと、福岡市など近隣の都市からも来ていただきました。」(*2021年11月19日〜21日開催『奈良の足元、熊本の手元展』)
🗞手応えはありましたか?
「3日間で予想よりもはるかに高い売上を立てることができました。もちろん、都市部のポップアップショップなどで販売する時とは客層などは違いますので、どちらが良い悪いではなく、自分たちで売り場を作ることができるのは強いと思いました。
南関町でイベントをしたというのも大きい出来事でした。開催を繰り返していくうちに、イベントが町の楽しみの一つになるんですよね。暖かい声もいただけて励みになりました。」
自分たちで地に足をつけて仕事をする
🗞“工芸界のストロングスタイル”という言葉をTwitterで見かけたのですが、どんな想いが込められているのでしょうか?
「プロレス好きから来ている言葉ではあるんですが。笑
私たちが作っている箸は、伝統工芸品ではありません。歴史もないし、地場産業でもありません。どちらかというと、メーカー寄りの考えに立っています。そんな私たちからすると、伝統工芸品ってパンダみたいだなと思ったんです。」
🗞伝統工芸品がパンダのよう?詳しくお聞かせください。
「例えば、『伝統工芸品は良いですか?悪いですか?』という質問があったら、ほぼ全員が良いと答えると思いますが、なかなか購買に繋がりません。伝統工芸品は見たり守っていくものであって、買うものではないという意識があるように思います。パンダも見ているとかわいいですが、保護されて生きているんですよね。見たり保護されるものであって、身近なものではないという点が似ていると感じました。
そう考えた時に、自分たちで地に足をつけてしっかり立って仕事をしていくってすごく大事だと思ったんです。もちろん様々なサポートは助かりますが、誰かが何とかしてくれる状態をずっと待っているのはおかしいなと。伝統工芸品に甘んじることなく、市場で戦っていけるようにならなければと考えています。」
🗞Twitterや過去のインタビューでおっしゃっていた“竹のお箸作りに関わる全ての人の暮らしを守る”という言葉も気になりました。どんな想いがあるのでしょうか?
「これは私の体験が基になっています。竹を切る方々の仕事ってものすごく大変な仕事なんですよ。入社して2年目で竹切りの仕事をお手伝いさせていただいた時に、何気なく『大変ですね』と声をかけると、竹を切る仕事をしているベテランの男性から『こういう儲からない仕事をする人がいないと回らないからね』という言葉が返ってきたんです。ものすごくショックでした。もちろん仕入れ値が限られているのはわかっていましたが、我慢してやってもらっていたのかと。もし、この方々の我慢の限界が来たら、それは私たちの仕事が終わることにもなるし、我慢しながらやっている産業に新しい人が入るわけもありません。その体験から、この人たちが喜んで仕事をしてくれる産業にしないと、私たちの仕事は続かないと思うようになりました。」
🗞まさか我慢していたのかというのはショックでしたよね。
「私が大学を卒業できたのも、当然親が学費を出してくれたんですが、その稼ぎを作ってくれたのは社員さんだし、もっと広く見ると竹を切ってくれる人たちのおかげでもあるんですよね。犠牲というと大げさですが、清濁併せ呑んで働いてくれた方々の我慢の上に成り立っていたと思うと、やはりショックでした。」
🗞その体験は具体的にどのような部分に影響を与えていますか?
「自社ブランドにしてもOEMにしても、“その価格ではできません”と言えるようになりました。仮に私が竹を切る仕事や製造を手伝ったとしても、生産量が倍になるわけではありません。私にできることは、竹の箸づくりに関わる人たちの仕事の価値を最大化させることです。それを常に考えるようになりましたね。」
🗞やりたいことが沢山あり、忙しかったのではないですか?
「箸づくりの仕事を覚えないといけないので、8時から5時まで工場で箸づくりを勉強して、新しい取引先開拓や自社ブランドの構想を練るのはそれ以外の時間にしていました。」
ヤマチクで働く人への思い
🗞社員の方は女性が多い印象です。
「そうですね。女性が多いです。特に、子育て世代が多いので、子供が急に熱を出してしまい休ませてくださいということは結構あります。その時に、工程のどこを止めてどこを優先させるかということを、逐一判断し社員同士でカバーしています。子育て世代の方々が多いからこそ、お互い様で助け合いですね。」
🗞そういった連絡はその日の朝にわかることが多いと思うのですが、そういった状況を助け合って乗り切る雰囲気は山崎さんが作られたのですか?
「よく言われるのですが、そんなことはないです。昔からお互い様で助け合ってやってきたので、特に制度にする必要も感じなかったです。」
🗞そういった雰囲気の中で働けるのは、子育て世代の方にとっては心強いですね。
「それが当たり前になりすぎるのも怖いなとは思っています。休んで、次の日仕事が終わっていたとしたら、誰かが代わりにやってくれたということなので、そこへの感謝を忘れないでいるからこそ成り立っています。制度化よりもその空気づくりの方がはるかに難しいと思っています。」
🗞新入社員の方への教育はどのようにされていますか?
「基本的にOJTで行っています。製造担当者がほとんどなのですが、工場以外でどんな体験をしてもらうかというのは結構意識しています。先日大阪で開催された工業産地博覧会に出展した際は、入社1年目と2年目の社員も参加しました。」
🗞社員の方も外と触れ合うことは大事だとお考えですか?
「作り手とお客様が触れ合うということは私たちにとって非日常です。でも、それを日頃の作業と切り離して考えて欲しくないんです。たまたま目に見えるところでそれが起こっただけの話で、普段は見えないところでお客様が買って喜んでくれているんですよね。その体験をした社員は日々の仕事への向き合い方が違うなと感じます。」
山崎さんの描く未来
🗞今後も働く人を意識して様々な取り組みをされていくと思います。
「とにかくやりがいがある会社じゃないといけないと思っています。それは精神的な部分もそうですが、給料や待遇面に関してもです。例えば高校卒業後の進路を考えている子が、面白そうな仕事だけど食べていけないからと親や先生に反対されてしまったら、そこで話が終わってしまうんです。やっぱり稼げるようしていかないといけないと思います。」
🗞山崎さんの中で今はどんなことを課題に感じていますか?
「今、限られた材料や人を今後どう活かしていくかの方向性を決める時期だと感じています。具体的には、自社ブランドかOEMかということになりますが、今の段階では、大量生産大量消費であるOEMにおんぶに抱っこ状態だなと思います。沢山のお客様に届けるという意味では良いのですが、自分たちの思いも含めて理解していただき、未来を守ることには正直繋がりません。どちらに重きを置いていくのか、その決断をしなければいけない時ですね。」
🗞規模を大きくして両方取り組むということはあまり考えていませんか?
「ないですね。やはり、誰かが無理をしなければいけない生産体制は取れません。OEMにもっと力を入れようとするならば、沢山作らないといけないわけですが、採れる竹の量には限界があります。これ以上作れないと言ったら、じゃあ輸入品に切り替えると言われることもあります。それに怯えながら仕事をするのはやめようと思っています。」
🗞自社ブランドに関してはどこまで育てていきたいとお考えですか?
「来年には自社ブランドの売上比率を半分以上にしていきたいです。正直、どうなるかはわからないところもかなりあります。でも、やらなきゃいけないことだと強く思っています。」
🗞山崎さんの今の決意を教えてください。
「私に与えられた使命は、ヤマチクの仕事そのものや、働いている人たちの仕事の価値を上げていくことです。そのために仕事をしています。私が死んだ後も、この仕事が価値あるものだと言われるために、やれることはなんでもします。」
【社員の声】母の姿を見て入社したヤマチク
ここからはヤマチクで働く社員の方の声をお届けします。
応えていただいたのは、主に箸の加工を担当されている松原歩(まつばらあゆみ)さんです。
🗞担当する仕事は固定されているのですか?
「箸の加工、塗装、出荷など大まかには分かれています。その中でも色々な仕事があり、覚える仕事は結構沢山ありますね。」
🗞技術を習得するのはやはり難しいですか?
「難しいですね。ベテランの先輩方は簡単にしているように見えますが、やってみると意外とできないです。なんとなくできるようになってからも、そこからもう一歩技術を深めていくには更に時間もかかりますね。」
🗞松原さんの入社のきっかけを教えてください。
「私が小学校4年生の頃に、母がヤマチクに入社して今でも働いています。その後、私も子供を出産し仕事をしようと考えた時に、ヤマチクなら仕事しながら子育てもしやすいと聞き入社しました。」
🗞お母様と一緒に働かれているのですね。子供の頃、ヤマチクで働くお母様はどんな風に見えていましたか?
「毎日汗だくで帰ってくるので、正直『めっちゃ大変そうやん。私はもっと涼しいところで働きたい』と思っていました。笑 でも、家でも仕事の話をよくしていて、仕事が好きなんだろうなという印象はありました。」
🗞今現在、松原さんがお母様と同じ仕事をしてみていかがですか?
「箸づくりは面白いですね。工場と聞くと、毎日ずっと同じことをしているイメージがありましたが、ヤマチクは箸づくりの中でも色々な工程があり、毎日いろんな仕事があるので飽きないし面白いです。」
ただ箸を作るだけで終わりたくなかった
🗞特に好きな仕事や、楽しい瞬間はありますか?
「自分が目標としているものを超えた時は楽しいです。はじめは、簡単な形状の箸から挑戦していくのですが、徐々に加工が難しい細身の箸に挑戦し、上手く作れた時はすごくやりがいを感じます。」
🗞どのようなタイミングで難しい箸に挑戦するのですか?
「上司が『任せてみよう』と思った時に仕事を振ってもらえます。なので、まず任せてもらえた時点で嬉しいですね。でも、挑戦させてもらえたとしても、成果を認めてもらえないと意味がないので、上手くいくと嬉しいです。」
🗞『okaeri』のプロジェクトメンバーとして開発に携わったとお聞きしました。どんな思いから参加したのでしょうか。
「ヤマチクで箸づくりの仕事をしてきて、なんとなく私の中で『このままただ黙々と箸を作っていくだけで終わるのかな。それはちょっと嫌だな』という思いがありました。そんな中、プロジェクトが立ち上がり、ヤマチクで新しいことに挑戦できるということだったので、是非やりたいと思ったんです。」
🗞なるほど。開発はどんな様子だったのでしょうか。
「まず、どんな箸が作りたいかをプロジェクトメンバー全員で考えました。家族みんなで使える箸が良いよねとか、子供も使えるといいよねというアイデアが出てきて、その思いが『okaeri』になりました。」
🗞プロジェクトに携わってみて、心境の変化はありますか?
「それまでは注文が来たものをただ作っているだけでしたが、展示会でバイヤーさんやお客様と直接関わる経験ができて、買ってくれるお客様のために箸を作っているという気持ちが芽生えました。」
🗞お客様が見えるようになったのですね。
「はい。自分が自信を持って作った箸を売り場に出したいと思うようになりました。」
🗞松原さんが特に好きな商品はありますか?
「悩みますが、やはり『okaeri』ですね。開発に自分が携わったのもありますし、最初に生地加工をしたのが私の母だったんです。仕事の中で母との繋がりを感じることができたので、思い入れが強いです。」
(c)ヤマチク
働きやすい環境
🗞お子さんと仕事のお話をすることはありますか?
「展示会などでお客様やバイヤーさんと話をするとなった時、子供の前で商品の説明などを練習していたんです。笑 『okaeri』の箸はこういうもので・・・と話していたので、子供もすっかりヤマチクが好きですね。笑」
🗞そうなんですね。松原さん自身は働きやすさを感じていますか?
「やはり子供の急な発熱や、学校行事で休まなければならない時があります。申し訳ないと思うのですが、『いいよ。しょうがないよね』と言ってくれるので、その分自分もまた精一杯やろうと思えます。」
🗞助け合っているのですね。
「その人を責めるのではなく、どうやってカバーして仕事を進めようかと考える雰囲気になるのは、とてもありがたいなと思います。」
🗞今後松原さんがやってみたいことはありますか?
「難しい加工やまだやったことがない工程にも挑戦していきたいです。あと、子供がもう少し大きくなれば出張もしやすくなるので、日本各地に箸を売りに行きたいです。」
おまけ:企画会議に潜入
ものづくり新聞が取材に伺った日に、年末年始に販売する福袋の企画会議が行われるとのことで、その様子を拝見させていただきました。
箸づくり歴も考え方もそれぞれ違うメンバーが集まり、セレクトした箸やその理由を発表していきます。販売の企画会議ですが、参加されているのは皆さん箸の“作り手”です。作り手が販売の部分まで考えるのがヤマチクです。
印象的だったのは、作り手が本当に欲しい箸を福袋にしようと考えていた点でした。様々な形状の箸を作っている方々が、特に気に入っている箸というのは、気になります。
参加者の中には、先ほどインタビューした松原歩さんのお母様である、松原和子(まつばら かずこ)さんもいらっしゃいます。
作るのが難しいけど、できた時の達成感があるという箸をセレクトしたメンバーに対して、その思いも込みでお客様に伝えたいと返す山崎さん。
自身がお弁当を作る際によく使うという箸や、家で使っていて持ち手が自分にフィットしていると感じる箸を選んだ方もいらっしゃいました。
作り手でありながらユーザーでもある自分たちだからこそのこだわりを語り合う様子からも、働く人たちが真ん中にいるヤマチクさんらしさを感じました。
(ちなみに、この時の企画会議の福袋は、販売開始1日足らずで完売となっておりました!)
株式会社ヤマチク
所在地 熊本県玉名郡南関町久重330
代表取締役 山崎清登
会社HP https://www.hashi.co.jp/
自社ECサイト https://yamachiku.stores.jp/
ー編集後記ー
山崎さんの言葉の端々から、箸づくりに携わる方々のことを常に想っている様子が伝わりました。特に印象的だったのは、どんな時でも現場で働く方々が中心であるとおっしゃっていたことです。働く方々を一番大事に考えているからこその言葉だと感じました。松原さんのインタビュー、企画会議を通して働く方の声を聞くと、改めて山崎さんのその想いが伝わっていると感じました。