作業着を着ない私たちのものづくり 山崎製作所
工場に入ると、鮮やかなピンク色が印象的です。よく見ると、工場の扉もピンク色。聞くと、このピンク色は山崎製作所のコーポレートカラーだそうです。板金作業に欠かせない「溶接」を写真に撮った時、その火花がピンク色に見えることがその由来です。
山崎製作所の得意分野は、精密板金加工。
加工精度や寸法公差に厳しいオーダーが日々飛び込んできます。最小注文数1個から受け付けており、短納期の受注も多いそうです。手掛ける製品のほとんどは工作機械などの内部部品に使われているので、指先に乗るくらいのサイズから、2メートルある大型製品まで、様々なサイズの製品を作ることができます。
自社製のインテリア製品からもその技術の高さが分かります。こうした様々なオーダーに対応できるのは、“あまりにも精密で、正直めんどくさくてできない!”というレベルの仕事ができる職人の存在があるからだといいます。
社内の技術がどんどん向上し、それが評価され、今では看板や表札などの美観品の受注が来るようになりました。
オリジナルブランド「三代目板金屋」 “三代目”に込めた思いとは
三代目板金屋は2015年から続く山崎製作所独自のブランドです。板金の更なる可能性に挑み、次世代に繋ぐことをコンセプトにブランドが立ち上がりました。
看板商品は「かんざし」。
事務所横のスペースには、「三代目板金屋」の看板商品である「かんざし」が販売されています。デザイン企画、製造、そして販売やPRまで自社で行っています。
かんざしといえば、思い付くのは和装。はじめは、和装の時に付けるかんざしをイメージしていたそうですが、販売開始から約8年間、時代や流行に合わせてデザインを変えていくうちに、普段着にも合うデザインのかんざしも生まれました。素材はステンレスの代表格である「SUS304」を使用しており、錆びにくく強度も高いため普段使いしやすいといいます。
型抜きのように一枚のステンレスから切り出して作られています。
切り出したかんざしを丁寧に磨いていきます。
「三代目板金屋」という名前は、山崎製作所が今現在取り組んでいることや、板金加工技術、金属加工の魅力を“次世代に伝えたい”という思いから名付けられました。現在代表取締役であり、2代目である山崎かおりさんが命名しました。
そんな山崎製作所で、ものづくりに熱い思いを燃やしている2人の女性がいます。
このお2人、いわゆる作業服は着ていません。でも、ものづくりに対する思いは人一倍アツい!
自分たちのスタイルで山崎製作所を盛り上げているのです。
山崎瑠璃さん
ーー瑠璃さんが山崎製作所に入社したいと考えたのは、どのようなきっかけがあったのでしょうか?お母様(現社長の山崎かおりさん)の影響もあったのですか?
はじめは家業に入るつもりは全くなく、考えたこともありませんでした。かといって、20歳くらいの頃にこの先どんな会社で働きたいだろうと考えてみても、当時はピンと来なかったんです。ただ、私の中で“いつか結婚して専業主婦になる”というのはあまり想像ができず、そのスタイルはきっと自分には合ってないだろうなと思ったんです。
ーーなるほど。
その時に、職種はともかく自分に合った働き方やスタイルは何だろうと考えるようになり、私は女性でもバリバリ働きたいし、いつか女性たちを引っ張っていく存在になりたいと思いました。誰かそんなお手本になる人はいないかなと考えたら、「あれ近くにいるじゃん」と母が思い浮かびました。それがきっかけで家業や母の仕事を意識するようになり、しっかりと自立して働いている、憧れの母の元で働きたいという思いが生まれました。でも、そこで母に入社したいと伝えて2回断られているんです(笑)
ーー断られてしまったのですか!
最初はびっくりしましたがダメな理由を聞いたら、「製造業で女性が働くことは、あなたが思っているほど甘くないよ」と言われ、母自身が女性で板金屋のトップとして、時にはつらい思いをしながらやってきたことを知りました。それでも、入りたい気持ちは変わらなかったので、再びお願いしにいくと3回目で「そこまで言うなら、板金の学校に行ってみなさい」と言われ、行くことにしました。
ーー2回断られても諦めなかったのですね。
はい。ちょうど同じ時期に派遣のバイトをしていて、その運営会社から正社員として入社しないかとお誘いをいただいていました。自分の中で、その会社に入るか、親の会社に入るかの2択になりました。親の会社に入るということはどういうことか、何となく自分でもわかっていて、入ったら辞められないし、辞めたら戻れないだろうなと。色々考えた末に覚悟を持ってお願いしたので、断られても気持ちはブレませんでした。
ーーそうなんですね。板金の学校とはどちらにあったのですか?
神奈川県にある板金メーカーが運営している板金スクールに通いました。最初、半年コースを申し込んだら、女性は前例がないから難しいと言われてしまい、1ヶ月コースを受講しました。泊まり込みの生活を送りながら、平日9時から5時まで勉強しました。
ーー受講して、いかがでしたか?
初めて工場の中に入り、機械に触れることができてすごく面白かったです。自分で図面を書いたものが、機械を通すことで綺麗な形になって出てきたのを見た時は嬉しくなりました。あと、これは偶然ですが、同じコースを受講していた人たちの中に経営者の息子さんや、将来会社を任される立場の方が多かったんです。境遇が似ていることもあり、通っていたのは10年前ですが今でも付き合いがありますね。
ーー学校から戻ってきた時は、「この世界でやっていけそう!」と思えたのですか?
いえ、そんな風には全然思えませんでした。でも、ものづくりって楽しいなと思いました。自分が学びたいことに向き合って、すごく成長することができた時間だったと思います。その後晴れて入社させてもらえることになり、最初は経理の仕事を担当しました。でも経理ばかりしていたわけではなく、時々現場の手伝いをするなどものづくりの仕事もさせてもらっていました。
ーーものづくりの世界に入ってみて、どうでしたか?
職人さんは自分より年上の方ばかりで、はじめは少し近寄りがたい雰囲気もありました。でもある時、工場の片隅で1人部品洗浄の仕事をしていると、近くを通った先輩方が『大丈夫か?』と声を掛けてくれたことがありました。徐々に打ち解けることができて、話してみるとみなさん優しい方々ばかりです。
自分の部屋に飾る家具を自分で作ってみたい そこから始まったわたしのものづくり
ーー山崎製作所が自社製品開発に挑戦したきっかけを教えてください。
私が入社した10年前には企画営業チームや自社製品がなかったのですが、社長は当時から自社ブランドへの関心を持っていました。私は当時経理でしたし、入社したばかりだったので、社長と一部のメンバーが時々試作をしている様子を見ていました。でも、ものづくりのことはまだ何も知らない頃でしたし、遠巻きに見ていた感じでしたね。
一方で、入社しものづくりの現場を見ているうちに、「金属ってすごくカッコいいな!」と思うようになりました。元々インテリア好きだったこともあり、自分の部屋の家具を、金属を使って自分で作ってみたいという思いが芽生えたのです。その旨を社長に話すと「せっかくやるなら、自社製品として形にすることを考えてみて」と言われました。それが、本格的に自社製品に取り組むきっかけとなった一言でした。
ーーなるほど。でも、商品として形にすると考えると難しいことも沢山ありますよね。
そうなんです。いざ売り物にすると考えると、本当にこれでいいのかなという思いはありました。そもそも本業である板金の仕事についても、どのくらいの金額で請け負っているかすら知らないくらいでした。販売価格や利益のこともわからず…それに、正直当時は仕事そのものがやりにくいと感じていました。
ーー具体的にどういった点でやりにくかったのですか?
私が自社製品開発を始める前から、一部のメンバーで自社製品の試作をしていて、まだ形にはなっていなかったのですが、何かを作ろうとしている雰囲気はあったんです。でも、その中に私が入ったわけではなく、それとは別で私個人の取り組みとしてスタートしました。社長も一緒にやっていましたが、社長と私だけでやっている活動みたいな見え方になっていました。
当時は自社製品開発をする会社ではなかったので、写真を編集したりデザインを考えたりするのも、周りの目がすごく気になって定時後に行ったこともありました。遊んでいるって思われるんじゃないか、みたいな不安がありましたね。
ーー開発が進むにつれて、そういった不安はなくなっていきましたか?
そうですね。企画営業チームが発足し、本格的に開発や販売に取り組むうちになくなっていきました。あとは、メディアの方に取り上げてもらったことも大きいです。第三者から評価していただけたことで、社内の理解も深まりました。それまでは、職人さんの中には「職人」という仕事に誇りを持てない方もいたと、社長から聞いています。
ーー詳しく教えてください。
社長が事業承継したばかりの時に、社内であるアンケートを取ったら「僕らはお客様の奴隷だ」とか「言われたものだけを作っていればいいんです」という声があったそうなんです。すごくショックだったと社長から聞きました。
ーーなるほど。
でも、自社製品の取り組みや社内の改善が進むにつれて、過去のアンケートではネガティヴだった職人さんが、ご自身のお孫さんに「今度テレビに出るんだよ!」と教えているという話や、今までなんだか恥ずかしくて親戚に板金屋で働いていることを隠していた人が、堂々と自分の会社を言えるようになったという話を聞いたことがあります。そんな様子を垣間見ると、やっぱり頑張ってきて良かったなと思います。
山崎製作所流の女性活躍は、自分たちで活躍の場を作ること
ーー山崎製作所流の“製造業の女性活躍”は、どのように考えていますか?
製造業で女性が活躍しているというと、ほとんどの方から「工場の中で女性も働いているんですか?」と聞かれます。色々な工夫をしながら工場で女性が働くということはすごく素敵なことで、ひとつの在り方だと思うんですが、私たちのやり方はそれとは少し異なります。
私たちは製造業の中にいる女性が、自分たちの活躍する場所を、自分たちで作れるんじゃないかと考えているんです。現在は、弊社のオリジナルブランド「三代目板金屋」に関して、デザインや広報、販売はほとんど女性のチームで担当しています。製造業の中でも、私たち女性が主体となって活躍できるこの環境が、私たちのやり方です。
ーーそういった考え方や、ムードが生まれたのは、何かきっかけがあったのでしょうか?
「三代目板金屋」というオリジナルブランドを立ち上げたことがきっかけで、そこで働く女性スタッフが活躍する場所が生まれました。その頃から、男性のお手伝いのようなイメージではなく、会社の中で女性たちがなくてはならない存在になってきたと感じています。
ーー企画営業部のリーダーをされている中で感じる課題はありますか?
過去にあったようなやりづらさはすっかりなくなりましたが、開発や企画、デザインの仕事に関して先輩がいないので未だにゴールがわからず悩むことがあります。実績もない、先輩もいない分野で仕事をすることがどれほど大変か身に染みています。
ーー今まさに、山崎さんが入社の時に思い描いていたバリバリ働き、みんなを引っ張っていくリーダーになっているのではないかと感じます。
まだまだそんなことはないんですが、きっと今の仕事が私がやりたい仕事だったんだと思います。面白いなと思いますし、やりがいを感じて仕事ができることに感謝です。今後はリーダーとしてメンバーのマネジメントに力を入れていき、いずれは私がいなくても色々なことが動くようにしたいです。
山崎瑠璃さんと共に企画営業部で働く、佐川花歩さんにもお話をお伺いしました。
佐川花歩さん
ーー佐川さんはどのようなきっかけで入社しましたか?
実は、私の叔母がきっかけなんです。叔母は清水市でファッションブランドを運営しているのですが、私が大学4年生の頃、そのブランドのSNS運用を叔母から任せてもらっていました。一方で、叔母はネイリストでもあり、偶然にも弊社の代表が叔母のネイルサロンのお客様だったんです。
ある時叔母が代表にネイルをしながら、「自分のブランドのSNSを姪っ子にやってもらっている」という話をしたのをきっかけに、まずはインターンとして山崎製作所のSNS運用をさせてもらうことになりました。
ーー面白いきっかけですね!インターンはいかがでしたか?
月に何度かSNSの投稿を作成し提出していました。山崎製作所でインターンを始めたばかりの頃は、入社するかもしれないとは全く考えていなくて、あくまでもアルバイトのような形でやれることがあるならやってみようかなという感じでした。
ーーインターンを経て、入社に至った経緯を教えてください。
インターン中は基本的にオンラインでやり取りをしていたのですが、ある時、『会社に来て仕事をしてみないか』と声を掛けられ、初めて工場などを見学させていただきました。普段見ることができない大きな機械にテンションが上がったことを覚えています。実際に会社に足を運んで、現場を見たり会社の人と話したりするうちに、製造業に興味を持つようになりました。私もちょうど大学4年生で卒業が迫り、卒業後の進路を考えるようになった頃に声を掛けていただき、入社を決断しました。
ーー製造業の世界に足を踏み入れて、いかがでしたか?
私は外国語学部を卒業していて、友達のほとんどは製造業以外の業界に進みました。入社後に同学年の友達から、入社して3ヶ月間研修があることや、同期やメンターがいるという話を聞いてそういった環境の違いは感じました。私の場合は入社してすぐに企画営業部としての仕事を始めたわけではなく、スタートもちょっと特殊だったんです。
ーー初めはどんな仕事をされていたのですか?
ちょうど工場が新しくなり移転するタイミングで、オープニングセレモニーやファミリーイベントを開催したのですが、その企画を任されました。入社した4月にその話が出て、11月の開催まで必死でした。
ーー入社して間もない頃にそれは大仕事でしたね!
社会人としてスケジュールを立てたり、段取りを考えて進めたりする経験がない中で、先輩に聞きながらなんとかやりましたが、結構大変でした。例えば、社外の方にオープンニングセレモニーの招待状を出すという仕事をひとつとっても、招待状を作るためには印刷会社に連絡をし、紙を選んで文面を考える必要があるということを、ひとつひとつ経験しながら鍛えられました。
ーーやり遂げたことが素晴らしいですね。
今となれば全部良い経験だったと言えます。でも当時は泣きながら上司に相談したこともありましたし、元から好奇心やチャレンジ精神が強いタイプでしたが、それでも挫折を繰り返しながらやっていました。
ーーファミリーイベントとはどのようなイベントでしたか?
社員のご家族を新工場にお呼びして、工場など働いている場所をご紹介するイベントです。会社の社名とイラストが書かれた特大ケーキを発注したり、軽食や記念品を用意したりと賑やかな時間でした。意外と自分の家族がどんな場所で働いているか知らないことが多いと思うので、良いイベントでした。
目を向けてもらうためには発信し続ける必要がある ものづくり企業の広報として届けたいこと
ーー普段の仕事について教えてください。
自社ブランドのInstagramの運営を中心に自社製品のPRを担当しています。どういう投稿なら自社製品の魅力が伝わるかを考え、社内のあちこちで写真を撮っています。最近は、作り手のことも知るきっかけがあったら良いなと思い、私が企画してスタッフアカウントの運営を始めました。
ーー町工場で広報の方がいるというのは珍しいですよね。
確かにそうかもしれません。私たちの商品はECサイトを中心に販売している以上、常に発信し続けていないと目を向けてもらえません。そのために広報やPRをし続けるのは本当に大事なことだと考えています。それに、広報の仕事ばかりをやっているわけでもなく、時には現場でサンドブラスト加工などをすることもあるんですよ。ものづくり企業ならではの働き方ができていると感じます。
ーー現在課題に感じておられることはありますか?
自社製品のPRやお客様との交流をしていると、「かんざしを作っているのが板金屋だと思わなかった!」という反応と、「板金屋でもこんなもの作っているんだ!」という反応が多いです。一般的な反応だと思いますが、まだまだ私たちのことやものづくりのことを、伝え切れていないなと感じます。一般の方々にこそ、製造業や板金屋の面白さや、カッコよさを伝えられるような働きかけをしていきたいです。
ーー今後の目標や夢はありますか?
海外の展示会に出展することを目標に掲げています。私たちが作る「かんざし」という商品は日本の伝統文化という色が濃い商品です。そこに興味を持つ海外の方は多いのではないだろうかと思います。日本中にはもちろんのこと、海外の方にも届けたいです。
株式会社山崎製作所
会社HP 山崎製作所
あとがき
ものづくり新聞では度々「製造業の女性活躍」というテーマで取材を行ってきました。山崎製作所のお二人からは“自分たちの活躍する場所は自分たちで作る”という言葉通りのパワーを感じました。
佐川さんはこのインタビュー当時入社して1年経ったばかりとのことでしたが、現場を案内してくださる時の楽しそうな笑顔が印象的でした。ものづくりの世界に触れて、その面白さに触れ、なんとか力になりたいと奮闘する佐川さんのような方を増やすには、どうすればいいだろうかと考えています。(ものづくり新聞 記者中野涼奈)