佐賀県有田町の魅力発見!有田焼に宿る職人の技と思い

2024年11月7日 公開
こんにちは!ものづくり新聞 記者の佐藤日向子です。今回の記事は、インタビュー記事やイベントレポートといったいつもの形とは違う形でお届けします。
 
2023年4月にものづくり新聞にジョインしてから、あっという間に1年半が経ちました。これまで、ものづくり新聞で19本の記事を公開してきました。そして、この記事がちょうど20本目なのです!
 
これまでたくさんのものづくり産地に足を運び、様々な方にお話を伺いました。
それぞれの個性があり、魅力溢れるあたたかい人が集まる場所、そして未来に残していきたいものづくりの現場が日本のあちこちにあります。
見たい、知りたいものづくりがまだまだたくさんあります。そんな私が今回向かったのは、佐賀県西松浦郡有田町とその周辺地域です。ここは、日本で初めて磁器生産が行われた、400年以上の歴史を持つ有田焼の産地です。
 
有田焼に関する現地取材の3日間で感じたこと、素敵だなと思ったものを20代女性、社会人2年目の私、佐藤日向子がありのままに書いてみました。
 
ものづくり体験や工場見学、産地でのお買いものから、就業体験、お試し移住、そして完全移住まで、ものづくりへの関わり方は人それぞれで良いのだと思います。また、関わるきっかけとなるものも、個人の趣味や好みによって変わってくるはずです。
 
ものづくりが好きになる、有田焼に興味が湧くきっかけの一つとなれる記事を残したいと思い、有田焼に関係するグルメ、ホテル、神社、文房具など、発見した様々な視点で有田の魅力をまとめてみました。
 
それではどうぞ!
 

 
まず、有田焼に限ったお話ではありませんが、焼きもの業界にはたくさんの用語や工程があります。全部を一度に覚えようとするのは頭がパンクしちゃうので、おすすめしません。
かといって、用語を全く知らないと文章を読み進めていくのが難しいと思います。ですので、これから有田焼のことを知っていくのに最低限必要な用語を7つピックアップしてみました。

有田焼用語集 〜入門編〜

✍️陶祖(とうそ)

石場神社にある磁器製の李参平の座像。
石場神社にある磁器製の李参平の座像。
 
どのものづくり産地にも、造型や生産などの活動を最初に行ったとされる人物、いわゆる創始者が存在します。一般的にはその地で初めて窯を建てた人物や中興の祖を陶祖と言います。有田の場合、1616年に朝鮮から帰化した陶工、李参平(り さんぺい)【日本名:金ケ江三兵衛(かながえさんべえ)】さんが陶祖です。
李参平さんがこの地で磁器の材料である陶石を発見し、窯を建て、磁器の生産に日本で初めて成功したのが、有田焼のはじまりとされています。(参考:有田観光協会, 佐賀県陶磁器工業協同組合

✍️泉山磁石場(いずみやまじせきば)

泉山磁石場の様子。
泉山磁石場の様子。
磁器は、陶石という石を粉状にして粘土状にしたものが原料となっています。一方、石ではなく土が原料になっているものが陶器と言われています。これが陶器と磁器の違いの一つです。
大正時代以降、有田焼の主な原料は熊本県で採石される天草陶石ですが、李参平が陶石を発見したのは、佐賀県有田町にある泉山というところです。泉山磁石場は昭和55年に国の史跡に指定され、現在はほとんど採石されず、そのままの状態が保たれています。(参考:有田観光協会, 佐賀県陶磁器工業共同組合

✍️窯(かま)

窯元・藤巻製陶の窯。
窯元・藤巻製陶の窯。
窯は、生地(焼かれる前の器)を焼く場所のことを指します。焼きものは、生地の状態から、主に素焼き、本焼きなど数回に分けて焼かれることが多く、こういった窯焼きの工程を、焼成(しょうせい)とも言います。
焼きものを数回に分けて焼くのには理由があります。素焼きには、絵付けや釉掛けなど、以降の工程に必要な強度を持たせると同時に、不純物を燃焼し、除去する目的があります。本焼きでは、約1,300度もの高温で焼成し、陶土を焼き締めるとともに釉薬を溶かしガラス化させることで、ほぼ吸水しない磁器が誕生します。
窯の燃料は様々あり、電気、ガス、薪、灯油などがあります。また、形状が異なるトンネル窯や登り窯などもあります。(参考:やきものの教科書

✍️窯元(かまもと)

窯元とは、焼きものの商品の開発を担当する事業者を指します。一般的に窯元は形状開発を行い、量産用の石膏型を型屋に発注し、その型を生地屋に持ち込み、陶土を成形してもらった生地を受け取り、その後の完成までの工程を担当するケースが多いです。完成品は商社によって検品や在庫、包装などがされ、小売店や消費者に届きます。
 

✍️釉薬(ゆうやく)

佐賀県窯業技術センターが作成した釉薬の色サンプル。溝の深さによって釉薬の溜まり方や色の濃淡も変わる。
佐賀県窯業技術センターが作成した釉薬の色サンプル。溝の深さによって釉薬の溜まり方や色の濃淡も変わる。
釉薬とは、焼きもののベースとなる素地と呼ばれるものの表面をガラスコーティングするものです。ほとんどの釉薬は液体で、焼くことで溶け、冷めることで固くなり、頑丈なガラス質になります。(参考:やきものの教科書, 陶磁オンライン美術館

✍️染付(そめつけ)

九州陶磁文化会館内のドア。青色の模様の部分に染付と墨はじきという技法が使われている。
九州陶磁文化会館内のドア。青色の模様の部分に染付と墨はじきという技法が使われている。
染付とは、藍染めに似た見た目からその名前がつけられた技法です。日本では江戸時代初期に有田で初めて染付の技法が生まれ、その後、九谷、瀬戸など各地に広がっていったとされています。呉須(ごす)という絵の具によってこの青色が生まれています。(参考:やきものの教科書

✍️高台(こうだい)

櫛高台(くしこうだい)というクシが描かれた高台。櫛高台は有田焼の複数ある様式のうち、鍋島様式の代表的な特徴です。畑萬陶苑ショールームにて。
櫛高台(くしこうだい)というクシが描かれた高台。櫛高台は有田焼の複数ある様式のうち、鍋島様式の代表的な特徴です。畑萬陶苑ショールームにて。
高台とは、茶碗や皿の底の部分で器全体を支える台の部分のことです。焼成に伴い窯の中で変化する器の形状を支える機能もありますが、さらに手で持った際に指がかりを良くしたり、湯呑みなどを手に持った時に熱さが直接伝わりにくいようにしたりするという役割もあります。(参考:やきものの教科書
そういった役割を持つ高台が、「器を持ってご飯を食べる」という日本食らしい所作を支えているとも言えます。あまり目立たない部分ではありますが、高台の細部にこそ職人の技やこだわり、丁寧さが垣間見えます。
 
これらの言葉は本当にごく一部の用語ですが、このほかにも、こんなマニアックな言葉を知っていると、窯元の方に驚かれて話が盛り上がるかもしれません。

有田焼用語集 〜マニアック編〜

✍️斜バマ(しゃばま)

斜バマは、ハマの一種です。ハマとは、焼成時の歪み防止に使われる受け皿です。(参考:有田観光協会)ハマに傾斜がついており、マグカップの持ち手部分によって生まれるマグカップの左右の重量差を軽減するのが、斜バマです。
ハマは一度しか使えない道具のため、使い捨てされます。現在は、アロマディフューザーやペーパーウェイトなどとして再活用することがあるようです。
昔は有田町周辺の川にハマや陶片がたくさんあったのだそうです。地元の子どもたちに、ハマは水切りで遊ぶのにぴったりなものとしてよく拾われていたのだとか。

✍️アルミナ棒

提供:文翔窯
提供:文翔窯
アルミナ棒とは、焼成の際、焼くものが床につかないように吊るしておくための棒状の道具です。
 
そもそも、焼くものをそのまま置いてしまうと、焼成時に溶けて冷却時に固まる釉薬によって、器を置いていた棚板にくっついてしまいます。それを防ぐためにアルミナ棒やハマといった、縁の下の力持ちとして活躍する道具があるのです。
 

 
この他にも、様々な工程や、道具、技法によって、有田焼は生み出されます。1616年からの長い歴史や、重要な原料の供給地だった泉山磁石場、大小さまざまある設備や道具。あらゆる要素によって形になっている、縦にも横にも幅のあるものづくりだと感じました。
 
いよいよここからは、有田で過ごした3日間で感じた有田の魅力をお伝えします!
 

色々なところに、有田焼!

佐賀県伊万里市の秘窯の里・大川内山にて。現在では主に伊万里市で生まれた焼きものは伊万里焼、有田町で生まれたものは有田焼と呼ばれています。
佐賀県伊万里市の秘窯の里・大川内山にて。現在では主に伊万里市で生まれた焼きものは伊万里焼、有田町で生まれたものは有田焼と呼ばれています。
まず、有田町周辺で街を散策していると、色々なところに有田焼でできたものを発見しました。有田焼の地図や、有田焼の橋。
大川内山地区にある、鍋島藩窯橋。
大川内山地区にある、鍋島藩窯橋。
 
山の緑に囲まれた谷のような立地のなかに、ゴージャスな橋が存在感を放っていて、その緑と青のコントラストが美しかったです。
 
 
取材でお邪魔した、佐賀県陶磁器工業協同組合の建物には、建物が創設された当時の組合員がそれぞれ作成した社名付きの丸いプレートが壁に飾られていました。
 
 
そして、観光スポットとしても有名な、陶山神社にも行きました。陶山神社は、磁器製の鳥居などがある神社として知られています。あちこちに磁器の置物などがありましたが、やはりこの染付の技法が用いられた鳥居と、ここからの景色が圧巻でした。
 
 
階段を上がった先の少し高さのあるところにあるため、高いところから街を見守るような、重厚感のある雰囲気がありました。
 
 
有田に来た際は、街のあちこちにある有田焼にも注目してみてください。
 

有田焼がある暮らしを体験できるレストラン&ホテル arita huis

次に、実際に宿泊したarita huis(アリタハウス)というホテル・レストランをご紹介します。
 
arita huisでは、宿泊をしながら有田焼のある暮らしを体験することができます。というのも、お部屋の中には有田焼の食器がいくつか置いてあるのです。
有田焼の卸団地であり、お買いものもできる有田焼ショッピングリゾート「アリタセラ」の敷地内にあるので、お買いものをしながら有田焼にどっぷり浸かれるホテルです。
モダンでシンプルなお部屋。その中にある有田焼を使ってみると、実際に自分の部屋でも有田焼を早く使ってみたくなります。
手前がKIHARA(キハラ)のカップ&ソーサーで、奥にあるのがARITA PORCELAIN LAB(アリタポーセリンラボ)のグラス。
手前がKIHARA(キハラ)のカップ&ソーサーで、奥にあるのがARITA PORCELAIN LAB(アリタポーセリンラボ)のグラス。
部屋の中のコーヒーカップやグラスはもちろん有田焼。なんと洗面所のコップにも、焼きものがありました。贅沢すぎます。
色々な種類の有田焼を使いながら、自分の部屋ならどの有田焼が合うかなー、自分の好きな飲み物をどのコップで飲んだらより美味しく飲めるかなーと考えながら、ゆったりした気持ちで宿泊できるのが良かったです。
レストランでは有田焼が使われたお料理が並びます。季節によって異なるメニューが提供されているのだそうです。お料理に使われている器の半分くらいは、取材を通して関わらせていただいた窯元の器でした。
 
客室は10室と限られているため、部屋番号も1~2桁でとてもシンプルで覚えやすいです。ゆったりとした時間が流れるこの場所に、またいつか戻ってきたいと思います。
 
arita huis公式サイト
 

おすすめの有田メシ🍚

滞在中に見つけた、美味しいスパイスカレー専門店をご紹介します。佐賀県西松浦郡有田町にある、SPICE HOTARU(スパイス ホタル)というお店です。
窯元の李荘窯業所(りそうようぎょうしょ)の店舗である李荘庵(りそうあん)の建物が使われていて、店内では李荘窯業所の商品のお買い物もできます。一部商品はアウトレット価格で販売されていました。
SPICE HOTARUでは、窯元の名前がついた2、3種類前後のカレーを楽しむことができます。ご夫婦でここを営んでいるのが、富田文彦(とみたふみひこ)さんと富田紗貴(とみたさき)さんです。
 
お二人で分担し、窯元への取材や試作を繰り返し、これまで10社の窯元の名前がついたカレーを作ってきました。窯元それぞれのものづくりに対する姿勢を取材し、それに呼応するカレーを作っているのだそうです。カレーによって、職人の仕事やプライベートの過ごし方、これまでに手掛けた作品などが表現されているのだとか。
この日食べたのは、陶悦窯(とうえつがま)の名前がついた「薫香のキーマカリー TOUETSU」です。カレー皿として使われているのも、もちろん陶悦窯のお皿。ザラザラした手触りが特徴的な窯変結晶釉(ようへんけっしょうゆう)という釉薬が使用されたお皿です。
 
様々な窯元の器と、ここでしか食べられないスパイスカレーに出会えます。
 
 
SPICE HOTARU 公式インスタグラム
 

有田焼購入品紹介!

取材先で、作り手の思いを丁寧にインタビューしたり、製造工程を見せていただいたりすると、どうしてもそこで生まれるものが欲しくなるというのが私の中で取材あるあるになってきています。
その中でも、今回の取材はインタビューの量も多く、多方面から有田焼を知るために様々な場所に足を運んだので、お買いものをした点数は過去イチ多かったのではないかと思います(笑)。
 
その中でも、特に気に入って使っているものを2つ紹介します。
一つ目は、文翔窯の磁器製のストレートペンです。
 
金属製や木製のボールペンとは違う、ひんやりしているのに手に取ると肌馴染みは良い、独特な持ち心地の良さがあります。
 
そして何より、持ち手も置く部分にも手書きの模様が施されているなんて、贅沢なペンすぎます!このペンで、簡単なメモ一つでも高貴な気持ちで書けちゃいます。
 
ペンを刺して置いておける部分も、おまんじゅうのようにコロッとしていてかわいいです。
 
 
二つ目は、2016/ (ニイゼロイチロク)というブランドのコップです。2016/ とは、2016年、有田焼の400周年の節目に誕生したグローバルブランドです。世界から集結した16組のデザイナーが有田の窯元とタッグを組んで、有田焼の再定義を試み、世界の日常に寄り添う新たなスタンダードとなるものを生み出しました。(参考:2016/
 
このコップは、2016/ において、オランダを拠点に活躍しているデザイナーのクリスチャン・メンデルツマさんと窯元・藤巻製陶の藤本浩輔(ふじもと こうすけ)さんの協業によって生まれたものです。
 
メンデルツマさんが着目したのは、オランダと日本の歴史上の交差点です。メンデルツマさんのリサーチによれば、16世紀のオランダの商人たちは、日本の磁器をオランダへ持ち帰るとき、将軍への特別な贈り物としてオランダのリネン生地などを献上していたそうです。
 
そういったオランダと日本の間にある「磁器とリネン」のやり取りに注目し、有田焼にリネンの要素を入れられないか?と考えたのがはじまりでした。リネンで作ったモデルを磁器で再構築したのがこのコレクションなのです。(参考:2016/
 
手に取ってよく見ると、布の折り目のような凹凸がコップの内側と外側の両方に施されています。
 
日本とオランダの間で長い間紡がれてきた歴史の1ページが、1つのグラスに表現されているところが素敵だなと思いました。
 

編集後記

作り手の顔が見える、丁寧な手仕事で生まれるものを大切にしたい

私は元々転勤族の家庭に生まれ、その後も学生時代に3年ほど海外に住んでいたため、24年間の人生で10回以上引っ越しをしたことがありました。引っ越しの度に慣れ親しんだものを手放さなければいけないときの気持ちを何度も味わってきたからこそ、新しいものとの出会いにはとても慎重になれるようになりました。私にとって大切に長く使いたいものとは、作り手の顔が見える、丁寧な手仕事によって作られ、その上で、直感で感じる自分の好きと重なるものです。自分で選んだ大切な一つのものがそばにあるだけで、安心感があったり、ちょっと背中を押してもらえたりします。私たちにそんな心の豊かさを与えてくれるものが、日本のあちこちで今日も生み出されているのだと思うと、次の取材に向けて、立ち止まってはいられません。
(ものづくり新聞記者 佐藤日向子)
 
 

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