レシピのない世界で“色”を操る着色師。元料理人は20代前半に強すぎるメンタルをどのように獲得したのか?

2023年12月08日 公開
 
富山県高岡市は、高岡漆器、高岡銅器、高岡仏壇など複数の工房が集まる産地として有名です。そしてこの高岡の伝統産業を支えるキーとなるのが「高岡伝統産業青年会」と呼ばれる団体の存在です。
 
高岡伝統産業青年会(通称 高岡伝産:以下 伝産)は、高岡市の職人や問屋が集まる団体で、今年(2023年)創設50周年を迎えました。元々は地元の職人がメインの集まりでしたが、職人の人柄や技術力に魅力を感じた人が他の街から移住したり、地元の人が自分の専門分野で活動してくれたりという動きもあり、近年ではメンバーの顔ぶれも多彩になりました。卒会制度があり、40歳までの人だけが参加できる、高岡の熱い若者が集まる団体です。
 
彼らが本業を続けながら同時に伝産での活動に命を燃やすのは、高岡の伝統産業を、高岡という街を、ものづくりの産地としてさらに盛り上げるため。しかし、業界の縮小や安価な外国産の商品流入により、その高い技術力を生かせる場が減ってきています。この現状を打破するには、これまでの受注中心のものづくりだけではなく、新たな販路開拓や技術の開発など、新しいアクションを起こさないといけません。日々目の前の仕事をこなすだけではなく、長期的な視点で家業や、伝統産業、街のことを想う熱い人が、伝産にはいます。
(提供元:高岡伝統産業青年会)
(提供元:高岡伝統産業青年会)
 

有限会社 色政/高岡伝統産業青年会 専務理事 野阪 和史さん

今回は高岡銅器の着色技術で銅に独特の風合いや色味を生み出す職人工房、有限会社色政の4代目代表であり、高岡伝統産業青年会 専務理事の野阪 和史(のさか かずし)さんにお話を伺いました。
 
野阪和史さん
1987年生まれ。富山県高岡市出身。高校卒業後、2年間は名古屋の町中華で料理の修行をし、20代前半で地元高岡に戻る。深夜のバイトと家業の手伝いを掛け持ちしていた時期を経て、現在は色政の代表として着色師の仕事に従事。伝産加入は2013年。伝産では今期は専務理事として主に資金面の管理を担当。個人店の居酒屋でマスターと仲良くなって、そのお店らしさが出るお料理の味をお酒と一緒に楽しむことが大好きな呑兵衛。

名古屋で過ごした怒涛の3年間

「中学生のときから料理をすることやレシピ本を見るのが大好きでした。高校時代に自分でお弁当を作っていくうちに、料理の仕事がしたいと思うようになりました。高校を卒業した後、名古屋で調理師の資格を取るために1年間専門学校に通い、その後、中華の料理人になりたかったので名古屋の町中華で働き始めました。
そこでの生活に慣れるまでは本当に壮絶でした。学校で学んだことも、使っていた中華包丁も現場では全く歯が立たなかったので、初めは何度も怒られたし、ネギを切ることですら遅い!と言われてしまいました。1日に12~13時間くらい働いて、まるで修行のような日々を送っていました。」
調理師専門学校時代の野阪さん(提供元:野阪和史さん)
調理師専門学校時代の野阪さん(提供元:野阪和史さん)
「働き始めて数日で、自分やオーナーの家族が夕飯に食べるまかないを作るのを任され、中華丼と麻婆丼をよく作っていました。そのときは、まかないは出てくるのを待つのではなく、自分で作るのか!という驚きがまずありました。そしてオーナー家族の夕飯を作るのを任された嬉しさがあった反面、自分の料理の腕を試されている場でもあったので緊張感もありました。そのうち、プレッシャーを感じる状況や叱られることに対して耐性がつき、精神的にタフになることができました。
結果的に、その町中華は2年ほどで辞めてしまったのですが、今の自分のタフさを作ったとても貴重な経験でした。今でも2年に1回くらい名古屋に出張で行く時は働いていたお店へご飯を食べに行き、オーナーに近況報告をします。いつも頼んだ料理の3倍くらいの料理がテーブルに並ぶので、いつも餃子しか注文しません(笑)。」
働いていた名古屋のお店に行った時の写真(提供元:野阪和史さん)
働いていた名古屋のお店に行った時の写真(提供元:野阪和史さん)

高岡に戻り、バイトと家業を掛け持ちしていた20代前半

「21歳の時に高岡に戻ってきました。しばらくは何もする気になれなくて、ひとまず生活のために日中は家業の手伝いをして、深夜にレンタルビデオ店でバイトをするという生活を送っていました。その頃は家業を継ぐことも含め、自分の将来のことを真剣に考えてはいませんでした。
そこから父親の仕事を手伝ううちに、なんとなく家業を継ぐことへ意識が向いていきました。でも当時は若かったので、飲みに行きたくて早く17時になって欲しいなと思いながら日中を過ごしていました。その頃、伝産のことは名前だけ知っている程度で、何をしているのかは全く知りませんでしたね。」
20代前半の頃、野阪さんが友達と一緒に飲んでいるときの写真(提供元:野阪和史さん)
20代前半の頃、野阪さんが友達と一緒に飲んでいるときの写真(提供元:野阪和史さん)

仕事もプライベートも迷いが生じていた時期に伝産へ加入

「家業に入ったタイミングですぐに伝産加入のお誘いは来ていたのですが、「まだ早いんじゃないか?」と父親から言われたこともあり、自分でも伝産のことはよくわからなかったので、お断りしていました。
伝産に加入したのはちょうど10年前の26歳の時です。家業を継ぎ、自分が会社の代表になる日が来ることを意識し始め、このままでいいのか?という気持ちになっていた頃でした。分業制で仕事をする着色師という立場で家業を継ぎ、人の繋がりの大切さに気づき始めていた時期でもあったので、迷いながらも加入を自分で決めました。
20代前半のように、仕事終わりの遊びが中心の生活を続けるのは良くないんじゃないか?と思い始めていた時期でもあったと思います。仕事はお金稼ぎが全てではないけれど、自分の考え方や行動次第で活躍の場を広げられるものだと考えていたので、今まであまり深く関わってこなかったその部分にもっと集中したいと思うようになりました。」
(提供元:有限会社色政)
(提供元:有限会社色政)

変化し続ける伝産。大前提として大切なのは親睦と理解を深めること

「伝産に入ってから10年が経ち、顔ぶれも大きく変わりました。職人や問屋の集まりで、家業の経営者が多く在籍していた昔に比べ、最近は広報やデザインに詳しい人も加入してくれています。企業の従業員もいれば、家業の代表もいる、様々な人がいる中で、熱い議論が飛び交っていてとても刺激になっています。最近入った若い人も躊躇せず発言ができるのはすごいなといつも見ています。色々な立場で多様な考えを持つ人が集まるので、意見のぶつかり合いが起こるのは仕方ないと思います。すぐには分かり合えないかもしれないけど、時間をかけて、お互いを理解しあって仲良く活動していきたいです。」
伝産会員で参加した6月の高岡の金屋町での御印祭(ごいんさい)。高岡の街に伝統産業が栄えるきっかけとなった、加賀前田家2代当主前田利長公の遺徳をしのび、高岡銅器の繁栄を祈るお祭り。(提供元:野阪和史さん)
伝産会員で参加した6月の高岡の金屋町での御印祭(ごいんさい)。高岡の街に伝統産業が栄えるきっかけとなった、加賀前田家2代当主前田利長公の遺徳をしのび、高岡銅器の繁栄を祈るお祭り(提供元:野阪和史さん)

使う前から経年変化の風合いを楽しめる “古代色”

古代色と呼ばれる、古くから何年もそこにある銅像のような独特の風合いを出すには、大きく分けて3つの工程があります。
 
古代色着色とは
着色は、保存性と美化を高めることが目的です。金属が持つ本来の色を引き出すため、古くから伝わるさまざまな薬品を使い、金属の表面を腐食させ、化合物を生成させます。着色の工程では、まず金属表面の化合物被膜を取り除き、下色を施し、本着色へと進みます。下色は表面に酸化被膜を作る化学的手法です。硫酸銅や食塩、食酢などで作る「丹ぱん酢液」や「酢煮汁液」、日本酒または食酢に細かな鉄くずを入れて作る「お歯黒」などを用います。(引用元:高岡銅器協同組合
 
①下絵
表面を整え、この後の工程に加え、全体に深みを出すための工程。金属の表面に目的の色味に応じて、黒染液・煮色液・胆礬(たんぱん)酢などで下色を付ける。
(提供元:有限会社色政)
(提供元:有限会社色政)
 
②漆塗り
仕上がり時のツヤ感や質感を左右する工程。生漆や色漆を薄く塗り込み、乾燥させて色味を安定させる。
(提供元:有限会社色政)
(提供元:有限会社色政)
 
③おはぐろ
コーティングを施すだけでなく、職人の感性によってあえて表面にぼかしやムラを入れる工程。それによって色の深みや動きを表現することができる。
(提供元:有限会社色政)
(提供元:有限会社色政)
 
おはぐろ(お歯黒)とは
高岡の着色職人の特徴的な技法のひとつに使用するものであり、日本酒や酢、熱した鉄錆などを主原料に、半年ほど寝かせてできる液。各工房、先祖代々受け継がれた独自の秘伝ブレンドを持つ。(引用元:有限会社色政
 
「初めの頃は、父親から教わった通りにやったつもりでも思ったような色が出ないことが多かったです。言葉や文章で伝えられるものではないので、昔から職人は見て覚えるのが当たり前だと言われました。完全に真似ることは難しいし、そのやり方が自分に合っているとも限らないので、自分なりに咀嚼して言われたものと同じクオリティで作れる方法を模索するようにしました。
一流の料理人は、100人のお客さんに100個同じものを届けることができる』と料理を仕事にしていた時代に出会った人が言っていました。常に一定のクオリティを保つことは容易ではないけれど、例えば体調が悪かったり、忙しかったりしても、それができて初めて一流と認められるという意味では、着色の世界にも通じるものがある気がします。」
(提供元:有限会社色政)
(提供元:有限会社色政)
 
「着色における成果物は寸法、数値で表せないものなので、お客様とのすり合わせがとても難しく、商品の素地によって着色の結果も異なるので、私の職業はメニューのない料理人というイメージです。お客様に満足していただくために、個数の多い注文も全て同じ仕上がりで着色をすることを心がけています。家業に入って8年目くらいでやっと安定して着色ができるようになれた気がします。」
(提供元:有限会社色政)
(提供元:有限会社色政)
 

二日酔いから始まることも多い野阪さんの一日

「仕事終わりに伝産の活動があり、会員と飲みに行くことも多いので、たいてい毎日二日酔いから1日が始まります(笑)。6時半くらいに起きて、車で職場に向かいながら娘を小学校へ送ります。
業務時間中は製作だけでなく、従業員への指示出しや、外部との打ち合わせもあります。伝産の活動が忙しくなると、業務中に対応するなど同時進行になってしまうことも多いですね。
でも家に帰ったら仕事のことは一切忘れて、全力で息子とマリオカートとスマッシュブラザーズで遊びます。今は仕事と伝産で忙しく、週2、3日しか家で子どもと接することができないので、その時間は子どもとの時間を一番大切にしたいです。仕事は時間を割き始めたらキリがないし、どこかで線引きをしないとプライベートの時間がどんどんなくなってしまうので、突き詰めすぎないようにしています。」
3人のお子さんの子育てにも奮闘中の野阪さん。
3人のお子さんの子育てにも奮闘中の野阪さん。

見て、手で覚える世界で伝統技術を次世代に教える難しさ

「現在、従業員は私を合わせて4人(取材当時)です。妻に事務関係の仕事を任せていて、現場には美大出身の2人の若い職人が転職と新卒で入社してくれました。色政創業以来、初めての新卒採用です。着色は銅器製作の中でも最終工程で、学ぶ機会がなかなかない分野です。鋳造、造型の経験はあるけど着色のことはわからないという美大生もいるので、1から教える覚悟で採用しました。
 
中途採用の際は、漆を使う着色の工程も任せたかったため、漆を扱えるという条件で募集をしました。(漆の特性上、扱い方によっては手がかぶれてしまう人もいます。)採用のツールとして使用したのは24時間以内に投稿内容が消えてしまうインスタグラムのストーリーです。一日で消えてしまうし、見てくれる人もそんなにいないのかな、とあまり期待していなかったのですが、その投稿を見て連絡をくれた人と面接をしました。それが今中途で入社してくれた若手の職人です。
 
自分が父親から学び、自分のものにした技術は言葉で教えるのも難しいし、もちろんマニュアルがあるわけでもありません。試行錯誤し、紙に書いてみたりもするけれど、結局は自分の手で覚えてもらうしかありません。数年かけて数をこなしていくうちに、色を操れるようになります。最近は、私の手直しや助言なしに仕上げられるようになってきました。」

着色師としての現場仕事と経営者としての役割の両立

「自分がいなくても現場が回る状況を作れたら一番いいのですが、今は現場での作業も手放せません。若手職人に教えながら、完成度の高いものを作り、現場を誰かに任せられる状況を早く作っていけたらと思います。
着色師という仕事は既に形があるものありきの仕事です。当たり前ですが、何もないところに着色加工を施すことはできません。ですので、色政発信で何か新しいものが生まれることは現状難しいのですが、着色師を必要とする他の分野とのコラボレーションを通して、新しいものを作ることには今後も挑戦し続けます。」

編集後記

『伝統を守りながら、自分らしい方法で次の世代に託す』という野阪さんの攻めの姿勢は、町中華時代に培ったどんなことがあっても折れない心があるからこそ生まれるものなのかなと感じました。取材時に伺った野阪さんの数々のエピソードを全て記事には入れられなかったのですが、あえてここでは野阪さんの髭の変遷について少し追記したいと思います。野阪さんは5.6年前から緑、青、金など色々な色に髭を染めていらっしゃいます。最近はパーマをかけたり、三つ編みをしたりしてアレンジを楽しまれています。数々の高岡の住民や伝産会員がいる中で、「色がついたヒゲの人」として覚えてもらいやすくなったそうです。今後の野阪さんのご活躍はもちろん、髭の進化にも注目していきたいと思います。
( ものづくり新聞記者 佐藤日向子 )
 
ものづくり新聞では、アンケートキャンペーンを実施中です。2023年12月15日までこちらのアンケートで記事の感想をお聞かせください。抽選で5名様に素敵なプレゼントもご用意しています。皆様からのご応募、お待ちしております!(※こちらのキャンペーンは終了しました。たくさんのご応募ありがとうございました。)

この記事をご覧になった方への編集部オススメ記事

あの手、この手、「次の手」で、ものづくり産地の未来を切り拓く。高岡伝統産業青年会主催 “ツギノテ” 潜入レポート
 
高岡市にただ一人の蒔絵師が、真夜中から制作を始めるその理由とは
 
すべての街に良さがある。旅行会社での経験を活かした「産地の魅力の伝え方」とは?
 
デザインの力で高岡を魅せる!伝統産業を未来へ繋げるプロデューサー
 
伝統産業を守る作り手の想いを追いかけ、高岡伝産に出会う。
 
“Oriiブルー”で建築物に深みと彩りをもたらす職人。釣り人が地元にUターンして見つけた高岡の魅力とは?