高岡市にただ一人の蒔絵師が、真夜中から制作を始めるその理由とは

2023年12月11日 公開
 
富山県高岡市は、高岡漆器、高岡銅器、高岡仏壇など複数の工房が集まる産地として有名です。そしてこの高岡の伝統産業を支えるキーとなるのが「高岡伝統産業青年会」と呼ばれる団体の存在です。
 
高岡伝統産業青年会(通称 高岡伝産:以下 伝産)は、高岡市の職人や問屋が集まる団体で、今年(2023年)創設50周年を迎えました。元々は地元の職人がメインの集まりでしたが、職人の人柄や技術力に魅力を感じた人が他の街から移住したり、地元の人が自分の専門分野で活動してくれたりという動きもあり、近年ではメンバーの顔ぶれも多彩になりました。卒会制度があり、40歳までの人だけが参加できる、高岡の熱い若者が集まる団体です。
 
彼らが本業を続けながら同時に伝産での活動に命を燃やすのは、高岡の伝統産業を、高岡という街を、ものづくりの産地としてさらに盛り上げるため。しかし、業界の縮小や安価な外国産の商品流入により、その高い技術力を生かせる場が減ってきています。この現状を打破するには、これまでの受注中心のものづくりだけではなく、新たな販路開拓や技術の開発など、新しいアクションを起こさないといけません。日々目の前の仕事をこなすだけではなく、長期的な視点で家業や、伝統産業、街のことを想う熱い人が、伝産にはいます。
(提供元:高岡伝統産業青年会)
(提供元:高岡伝統産業青年会)
 

漆芸吉川/ 高岡伝統産業青年会 第46代会長 吉川 和行さん

今回は高岡市の漆芸吉川の蒔絵師であり、高岡伝統産業青年会 第46代会長の吉川和行(よしかわ かずゆき)さんにお話を伺いました。
 
吉川和行さん
1985年生まれ、富山県高岡市出身。2014年から漆芸吉川で3代目の蒔絵師として漆器の製造を行う。伝産加入は2016年。現在は伝産の第46代会長として、蒔絵師として多忙の日々を送っているが、一児の父として愛娘に会うため、なるべく早く帰宅したいと日頃からスピード感のある行動を心がけている。スマホの待ち受け画面はもちろん愛娘の写真。
 

「いつか家業を継ぐんだろうな」と思っていた学生時代

「姉が二人いる末っ子長男として育ったので、小さい頃からなんとなくいつか自分は家業を継ぐんだろうなと思っていました。でも祖父や父が実際どんなことをしているのかは正直なところ、あまり知りませんでした。
それまでは自動車製造業や飲食業で働いていたのですが、20代のときに父親が体調を崩したことがきっかけで仕事を辞め、家業を継ぐことになりました。その時に「自分が継がないと、父親の持つ技術や道具が消えてしまう」という危機感を抱き、それを自分の手で残さなければという使命感が生まれました。」

繊細な漆を操り、お客様に満足してもらうものを作る難しさ

「漆は湿度の高い場所で器に定着する性質があるため、梅雨の湿度の高いシーズンは漆を扱うのがとても難しいです。蒔絵は漆を接着剤のように使って、その上に金属粉などを蒔くことによって漆器に絵柄を出すため、中途半端に工程を進めて次の日を迎えると、今日塗ったところと昨日塗ったところの仕上がりに差が出てしまって、見た目がちぐはぐになってしまいます。埃や風も大敵なので、埃が立っていない静かなところで作業できるのが理想です。」
(提供元:高岡伝統産業青年会)
(提供元:高岡伝統産業青年会)
「完成までに何十回も漆を重ねる長い工程があり、一度制作に入ると途中で後戻りはできないため、事前のお客様との入念な打ち合わせがとても大切です。「鳥」といったモチーフや「風」などのテーマを先にもらって、その先は任せてもらったほうがスムーズに進むことが多いですが、利用シーンなどに合わせてできる限りお客様の要望に沿ったデザインでの制作を心がけています。」
吉川さんの作品。うずらの卵の殻や金粉を使ったモダンなデザインが印象的です。
吉川さんの作品。うずらの卵の殻や金粉を使ったモダンなデザインが印象的です。

ちょっと変わった “蒔絵師あるある”

「蒔絵師はそれぞれ空間の捉え方に個性があり、漆器のどこにどのくらい蒔絵の装飾を施すのかはその蒔絵師の技量やセンス次第。ですが、空いている空間が寂しいのではないか、もっと装飾を増やしたほうがいいのではないかと不安になり、最終的に多過ぎる装飾を描いてしまう現象に悩まされる蒔絵師もいます。業界の人はこれを空間恐怖症と言います。
 
でも、私の場合は逆に空間を残すのが好きで、空間にゆとりを持ったデザインで制作することが多いです。その人らしさが作品に如実に現れるので、コンテストなどでたくさん作品が並んでいる中でも父親の作品は一目瞭然で見分けがつきました。
(提供元:高岡伝統産業青年会)
(提供元:高岡伝統産業青年会)
漆器に手の油分が付くと漆がうまく乗らなくなるので、手の側面を漆器にくっつけずに、小指に指サックを付けて、小指を軸にして筆を動かします。この描き方が定着してしまったので、役場などで書類を書く際に小指が立ってしまい、ちょっと恥ずかしい思いをしたこともあります。」

「隣に同業者がいてくれたら…」地道な作業は孤独との戦い

「高岡には塗師(ぬし)など別の形で漆を扱う人はいるけれど、蒔絵師を生業としている人は街にほとんどいません。作業をするときはずっと一人なので、隣に同業者がいたらいいなと思うこともあります。孤独に感じることもありますが、伝産の用事で日中はいろんなところを飛び回るので、そもそも日中に本業の作業に時間を割けないことも多いです。家族との時間も大事にしたいので、なんだかんだで、よし!と筆を取るのは深夜になっていることが多いです。家族が寝静まった真夜中の時間だと部屋に風が立ちませんし、精神的にも落ち着いて作業ができます。」
(提供元:高岡伝統産業青年会)
(提供元:高岡伝統産業青年会)

日頃の伝産での吉川さんの役割

「これまで担当してきたイベント前の出展者とのやりとりや当日の進行などの実務から離れることになった分、伝産の代表として自治体などとのやりとりや補助金の手続きなどのために外出をすることが増えました。街の皆さんの協力がなければ成立しないイベントも多いので、元会員などへの挨拶回りも行っています。
学生時代から人々の仲介役で、ちょっとふざけたりして場を盛り上げるタイプだったので、伝産でも2つの意見で割れて議論が白熱し過ぎたときは間に入ります。どちらも同じくらい良いアイデアで結論が出ない際は私が決を出す場合もあります。」

伝産が抱える課題

「これまで多くのイベントを開催してきた中で、何度も会員同士で商品企画の話や新しい企画などが意欲的に挙がりました。ですが、イベント後目先の業務に追われて、費用対効果が少ないことや人員不足が理由で企画が頓挫してしまったり、実現しても途中で休止したりしてしまうケースが多かったのです。伝産は本業で危機感を感じ、新しい可能性を求め、高いモチベーションで集まっているメンバーが多いので、どうにか彼らにとってメリットのある具体的な商品開発の話などが生まれて、実績を作れたらと考えています。」
 
(左)吉川和行さん、(中央)伝産会員の羽田純(はねだ じゅん)さん、(右)伝産第36代会長の折橋祐紀(おりはし ゆうき)さん
(左)吉川和行さん、(中央)伝産会員の羽田純(はねだ じゅん)さん、(右)伝産第36代会長の折橋祐紀(おりはし ゆうき)さん

終業後に始まる伝産のミーティングは24時を過ぎることも

「伝産メンバーの打ち合わせはそれぞれの会員が本業を終える19時ごろから始まることが多いです。任意での参加になるので、発言力や傾聴力のあるメンバーが集結し、議論が白熱して24時を過ぎても打ち合わせが続くこともしばしばあります。イベント前になると話し合うトピックが増えるので、どうしても時間がないときは朝の6時からファミレスで話し合う時もあります。」

これからの世代に伝産を引き継ぐために第46代会長が思うこと

「伝産の会長という立ち位置は代々順番に誰かが担ってきたのを見てきたので、自分の番がいつか回ってくることは数年前から意識していました。50周年という大切な節目の年に会長になったのは嬉しいのか悲しいのか自分でもよくわかりませんが、とにかく身が引き締まる思いです。卒会まであと2年。自分にできることは、最近入った若い会員と数年前に卒会したレジェンド世代と呼ばれる先輩方との両方との関わりを持つ数少ない世代として、彼らの橋渡しの役割を担うことだと思っています。」

編集後記

後日、吉川さんのご提案で伝産の定例ミーティングを見学させていただきました。19時ごろから始まり、21時過ぎに会議が終わったと思いきや、それは休憩時間の始まりだったのです。そのあとも続く話し合いを目の当たりにし、伝産の皆さんの肉体的、精神的タフさに驚きました。伝産や蒔絵に真っ直ぐに向き合う吉川さんは、その苦悩もユーモアのあるお話に変えて聞かせてくださいました。その境地に達したからこそ言えるユーモアから、吉川さんの底なしの強さを感じました。
今回の長期取材で見つけたかったことの一つは、東京にファンコミュニティができるほど、高岡という街や伝産という存在の虜になる人が多いのはなぜなのか?ということでした。それは高岡の新鮮で美味しい海鮮や、海も山もある豊かな自然環境はもちろん、初対面でも前から知り合いであるかのようにフレンドリーに話してくださるその居心地の良さなのかもしれません。
( ものづくり新聞記者 佐藤日向子 )
 
 
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